誰もが幸せに生きる世界へ
「額に汗して稼いだ金じゃないと、簡単に手放してしまうんだよ」
今は亡き父は、テレビを見ながらつぶやいた。
それはまだ、振り込め詐欺のことをオレオレ詐欺と呼んでいた頃のこと。
被害の多くは高齢の女性で、元々資産家だったり、亡くなられたご主人の遺産相続等でまとまったお金があったというケースが多かった。
父は言った。「突然電話が鳴って、いくら子どもを装っていたとしても自分で稼いだ金だったら、もっと慎重になるはずなんだ」
そして冒頭の言葉が続いた。
いや、まあ、そんなこと言ったって
かわいい孫を語る突然の電話だったら
冷静ではいられないよ、誰だって。
ミカモは心の中で反論してた。
それより気になったことがある。
お子さんは離れて暮らしていたのだろうか。
お金に不自由しなくても、立派な家に住んでいても孤独な日々だったのかな。
それも哀しい人生だな。。。
亡くなる間際になると親族だと言って人が集まってくるという話がある。日頃の世話は嫌だけど、貰えるものは貰います。というアレ。
全てとは言わないけれど、そうした素地があって当時の事件は起きていたように見えた。
そして、今や振り込め詐欺は、ネットに居場所を変えているのは有名な話。
著名人の顔写真を出して投資話をもちかける。キャッシュカードや現金を受け取りに行かなくても、「投資」の名目でお金を振り込んでもらえるから割が良いのだと言う。
なんという世の中。
お金さえ手に入ればいい。ということか。
まあ犯罪ですから。
亡き父はこんな言葉もよく言っていた。
「あぶく銭なんか身につかないんだ」
またの名を、悪銭身につかず。
何の苦労もなく手にしたお金は
つまらないことに使ってしまい結局残らないというもの。
散財してその時だけは凄いと言われるかもしれない。お店の人にはありがとうと言われるかもしれない。
いっとき良い気分になるかもしれない。
けれども、それでは心は幸せになれない。
だからまたお金が欲しくなる。
お金さえあればと求めていく。
何かの事件で捕まった犯人が言っていた。
お金は逃げるために使ってしまった、と。
お金が目的になってしまうと人は判断を誤っていく。
日頃の私は、お金ばかりに思いが向いていないだろうか。
感謝することを忘れていないだろうか。
自分に出来る事は何なのか、真剣に探しているだろうか。誰かのために役に立てるように成長していこうという意識でいるだろうか。
まだまだ半人前すぎて全部耳が痛いです。
こちらの動画、見ていると感動している自分がいる。それは、能登半島地震で被災された方々の生き様に多くの示唆があるからだと思う。
目の前の状況がどうあろうと、お互いを思いやり自分にできることを探して生きていく姿。そこには感謝の言葉が飛び交っている。
誰もが幸せに生きる世界。
その実現は、何かを手にすることではなくて、知らず知らずのうちに握りしめている価値観を転換していくことで、可能になるのだと教えてくれている。
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