『日本のやばい女の子』ノート
はらだ有彩著 柏書房刊
2021年3月27日
タイトルからして〝やばい〟(なにがやばいかよく分からないが…)が付いているので、私は自分から手を出してこの本は買わなかったと思う。
ある若い友人(〝やばい女の子〟ではない……念のため)が、面白い本がありますよと紹介してくれた本である。
タイトルと装幀を本屋で見つけても、私はスルーしてしまうような本だが、読み始めてみると、わが国の古典文学や伝承されてきた昔話に出てくる女性――女の子というタイトルだが、どちらかというと妙齢の女性が多い――をいくつかに分類して物語の展開に沿って作者が独自の分析を加え、時には現代の物語と比較し、時には新しい解釈をして物語の続きまで独自の構想力で書き継いでみるなど、私たちがイメージとして持っている物語の主人公とはかけ離れた女性を描き出すという、実に滋味あふれる内容になっている。そしてページのところどころに作者自身が描いた妖しげ(褒め言葉です)で艶のあるイラストがあり、眼の休憩所になっている。
この作者の職業は「テキスト、テキスタイル、イラストレーションを作る〝テキストレーター〟ということである。
目次を見ると、「Ⅰ いなくなる女の子」たち、「Ⅱ キレる女の子たち」、「Ⅲ 人間やめる女の子たち」、「Ⅳ 殺す女の子たち」「Ⅴ ハッピー・エンドの女の子たち」となっており、それぞれの章にケーススタディとして4つの物語が選ばれている。
例を挙げる。「Ⅲ」に取り上げられている竹取物語の「かぐや姫」である。
かぐや姫に言い寄る男どもに対して、とても手に入らないような贈り物を要求するという無理難題をふっかけ、それを持ってきた男と結婚すると約束するが、誰一人それを手に入れられる者はなく、ひとりの男は命さえも失ってしまう。
やがてその騒ぎは帝の耳に入り、帝はこの悪女(ファムファタル)に興味を持ち、宮仕えをさせようとしたが、帝の命令にさえも従わず、「ムリに宮仕えをさせるのなら死んでしまう」とまで言い張る。帝も譲らず、かぐや姫と歌を送り合う関係になった。このあとは読者ご存じの通り、かぐや姫は月に帰らせまいとする帝の兵らの厳重な警備にもかかわらず、ついに月に帰ってしまう。
この話はここで終わらない。唐突に1953年のアメリカ映画『紳士は金髪がお好き』の話になり、マリリン・モンロー演ずる主役のローレライが男性に貢ぎ物を要求しまくるということから世俗的なプレゼント論に話が展開する。
ローレライは歌う。「ダイヤモンドは親友。女が老いると男性は離れていくが、ダイヤモンドは色褪せない。熱いキッスではアパートの家賃は払えない。」
そして、またかぐや姫の話に戻り、「この内省的で美しい、月から来た黒髪の乙女は、何のために貢ぎ物を要求したのだろう。かぐや姫には家賃を払う必要も、老いる心配も無いというのに。」
ここからさらにプレゼントの意味を考察するという内容だ。
ここで取り上げられた物語の一つ一つに、「えーっ!」、「そんなぁ」、「なるほど」、「そうなんだ」など、驚いたり、呆れたり、納得したり、また作者の上質のユーモアや皮肉に感心したり、決して一面的な解釈を許さない〝万華鏡〟を覗いているようなヤバい本であった。
著者は「はじめに」の中で、「現代をたくましく乗り越えて、今度は私たちが昔話になる日を夢見て。」と書いている。この一節に凝縮された、現代の矛盾や不条理を乗り越え、希望を持って逞しく生きようとする姿勢に私は共感する。
このあとも、『日本のヤバい女の子――静かなる抵抗』という続巻が出ているので、是非ご一読あれ。