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『生まれてこないほうが良かったのか?』ノート

森岡正博著
筑摩選書
 
 年初から少々ショッキングなタイトルの本を取り上げる。
「生まれてこなければよかった」という思想は、広く「反出生主義anti-natalism」と呼ばれ、人間が生まれてくることの否定(誕生否定)や、人間を生み出すことの否定(出産否定)を中心とする思想である。現代哲学においては、「人生の意味の哲学」という領域で議論されているテーマだ。だが決して現代的な現象ではないことがこの本を読むとわかる。
 
 デイヴィッド・ベネターという南アフリカ共和国の哲学者が書いた『生まれてこない方が良かった』(原著2006年、邦訳2017年すずさわ書店刊)に対する著者の答えを、哲学や宗教を辿りながら〝誕生肯定〟の哲学として書き上げた。副題には『生命の哲学へ!』とある。
 
「反出生主義」「誕生否定」「出産否定」など、どれも余り聞き慣れない述語であるが、身近な作品でみれば、太宰治の『斜陽』には、主人公の女性にこのように語らせている。
「ああ、人間の生活って、あんまりみじめ。生まれて来ないほうがよかったとみんなが考えているこの現実」。さらにこの言葉に続いて、「そうして毎日、朝から晩まで、はかなく何かを待っている。みじめすぎます。生まれて来て良かったと、ああ、いのちを、人間を、世の中をよろこんでみとうございます」と続けており、このような思想が人間存在に深く関わっており、決して荒唐無稽なものでないことがわかる。
 
第1章ではゲーテの『ファウスト』を取り上げ、「生まれてこなければよかった」について考察している。
 以下、第2章では古代ギリシャ文学、第3章ではヨーロッパの反出生主義を代表するショーペンハウアー、第4章では古代インドの「ウパニシャド」、第5章では、ゴータマ・ブッダ(釈迦)の哲学、第6章では〝生の哲学者〟ニーチェ、第7章では、ベネターの誕生害悪論の議論の陥穽を明らかにし、それまで検討してきた誕生の肯定と否定に関する哲学を振り返って、著者自身の考え方を打ち出している。

『ファウスト』は、哲学、法学、医学、神学を研究し尽くした老ファウスト博士と悪魔メフィストフェレス(メフィスト)の物語である。ファウストはこの世の知を極めたにもかかわらず、自分がこの世に生きることの意味をつかむことができない。そこにメフィストがやってきて、ファウストにこの世で最高の瞬間を味わわせることと引き替えにファウストの魂をもらう提案をする。ファウストはその賭けを受入れる。
 メフィストは己のことを〝否定する精神〟と言い、〝悪〟と規定する。そして誕生するものはすべて亡びるべきなのであり、そもそも「何も生まれてこなければよかったのだ」と言う。この〝誕生否定〟がメフィスト的な悪の本質なのである。
 ファウストはメフィストの取引で若さを取り戻し、グレートヒェンと恋におち子どももできるが、ファウストは過って彼女の兄を殺害してしまう。彼女もまた思い違いから母親を殺害し、自分が産んだ子さえも殺してしまう。ファウストは死刑を宣告され牢獄に入っているグレートヒェンを救い出そうとするが、すでに狂っている彼女は、助けようとするファイストを拒む。その時ファウストはこう叫ぶ。
「ああ、わたしは生まれて来なければよかったのに!」
 そして次にメフィストの気配を感じて怖がるグレートヒェンに向かってまた叫ぶ。
「おまえは生きなければならない!」
 真に生きるべきなのは魂を悪魔に売って生きる意味を獲得しようとした己ではなく、社会規範に逆らってまでファウストへの直線的な愛を貫こうとしグレートヒェンであることを彼は理解したのである。その時、天からグレートヒェンに向かって「救われた!」という声がするのだ。(第1部)
 
『ファウスト』の紹介だけで終わったが、〝反出生主義〟をめぐる人間の構え方を、様々な思想・宗教を鑑としながら平易に解説したこの本は、「人間はなんと難儀な生き物か」ということを私に再確認させてくれた。さらにこれからの遠い未来のこの地球上の人類の運命と存在意義を問うものとして読んだ。
 

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