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『闇の奥』ノート

ジョセフ・コンラッド著
黒原敏行訳
光文社古典新訳文庫
 
 この小説は時代や舞台は違うが、フランシス・コッポラ監督の映画『Apocalypse Now』(邦題:「地獄の黙示録」)の下敷きとなった物語である。
 
 私は先にこの映画をみて、そのあとこの小説のことを知ったので、読み進めながら、物語の舞台設定は違うものの、場面展開の大筋がほとんど同じなので、まるで映画の場面を再体験しているような感覚になった。
 とはいうものの、映画の方は一言で言えば大義なきベトナム戦争、ひいては戦争というものの不条理を描いて余すとことがなかったが、この作品は一筋ではいかない多重な意味を内包している。
 
 始まりの舞台はロンドンのテムズ河に浮かぶ2本マストの遊覧ヨット。マーロウはこの物語の語り手である。彼はこの船に乗り、同乗の仲間の弁護士や会計士らに自分の体験談を語ることから物語が始まる。
 
 時代は、欧州列強がアフリカという未開の大陸を蹂躙する植民地主義が横行していた19世紀末。マーロウは叔母の伝手で、ある貿易会社に雇われることになった。彼の役目は、貿易会社の社員でありながら、その分を超えて原住民を手懐け、略奪に近い象牙貿易で絶大な権益を握って私物化しているクルツ(Kurtz=英語読みではカーツ:『Apocalypse Now』のカーツ大佐に比定される)という人物が重い病気に罹ったので、表向きは救出するようにというものだった。実のところはクルツは、任を解かれて帰国せよとの命令に反し、無人になった荒涼たる奥地出張所へ行ってしまっており、会社もその動機をつかめないままだったのだ。
 
 マーロウは広大な地図の空白地帯の残るアフリカ・コンゴの奥地にある出張所へ蒸気船で出発することになった。
 
 この植民地主義の権化ともいうべき人物カーツは、豊かな才能を備えた男で、「最も顕著で本当に存在感を持っていたのは、語る力、その言葉――表現する能力、人を混乱させ、啓蒙する、とびきり高尚でありながら卑しむべきもの、脈打つ光の流れ、あるいは見通せない闇の奥から発する欺瞞の流れだった」と表現されており、その力で原住民から尊崇されていた。
 馬鹿が悪魔に魂を売ったためしはないと考えているマーロウは、カーツのことを聴くたびに、ますますこの人物に興味を抱き、会って話をしたいものだと思う。
 
 仲間を失いながらもクルツを救出したマーロウは、ある夜、蝋燭を一本灯してクルツが横たわる船室に入ると、クルツは震える声で、「私は闇の中に横たわって死を待っている」とつぶやく。マーロウは彼の表情に絶望の表情を見て立ちすくむ。クルツは、何かの影像、何かの幻覚を見たかのように、二度、囁くような、ほとんど息だけの声で、こう言った――「怖ろしい! 怖ろしい!(※)」。そしてクルツは息を引き取った。
 
(※)『Apocalypse Now』のカーツ最後の言葉 「horror……horror」と同じだ。映画の字幕では「恐怖だ、地獄の恐怖だ」となっている。
 
 この物語は昔から様々な分析がなされているが、当時の植民地主義が土地の収奪や単なる利益追求のためだけではないことがわかる箇所がある。
 
「剣を帯び、松明を携え、この国の覇者の使いとして、また信仰の聖火の光を運ぶ者として、およそ偉大なるものはすべてこの河の引き潮に乗り、未知なる土地の神秘の中へ入っていったのだ。」(P13)
 
「無知蒙昧な人たちを忌まわしい風習から引き離すため」(マーロウの叔母の言葉。P32)
 
「出張所は、通商の拠点となることは当然として、同時に文明化と教化の拠点にもならなければならない。」(クルツの言葉。P83)
 
 これからもわかるように当時、植民地主義は、たとえ建前にせよ近代文明と信仰を通じて未開人・原住民を教化・教育するという目的と利益の追求の二本柱だった。
 
 マーロウは物語のはじめの頃に、同じ船に乗っている連中にこういう。
「征服というのはほとんどの場合…中略…土地を巻き上げることで、見て気持ちいいものじゃない。その醜悪さを償えるものは、理念だけだ。背後にある理念。きれい事の建前じゃない、一つの理念。そしてその理念に対する無私の信念。その前にひざまずき、頭を垂れ、供物を捧げられるような何か……」(P19)
 
 マーロウは当時の欧米列強の植民地主義の欺瞞性を見抜いていたわけだ。叔母の言葉にも、「会社の目的は金儲けですよ」とやんわりと反論している。その上で、その植民地主義の欺瞞性を償えるのは、建前だけの未開人・原住民の教化・教育ではなくて、一つの理念とそれに対する無私の信念だと言うのである。それは信仰と言い換えてもいい。
 
 クルツは、婚約したいと思っている女性の家族から、資産がないなどの理由で婚約そのものを反対されていた。そこでクルツは原住民を自分の能力のすべてを使って原住民をいわば誑かして象牙を略奪し、その売買で儲け、資産をつくろうとしていた。
 それは、婚約を認めてもらうための行為だったのか。いつの間にかクルツは自身の信念に反してしまう。
 白人は、彼らアフリカ先住民の眼には超自然的な存在と映る――クルツを神のごとき力を備えていると思い込むことを利用して、魅了し、怖がらせ、自由に操り、自分の資産をつくるためだけに象牙を集めていたのだ。
 そのことが、はじめは無私の信念を持っていたはずの、誰もが素晴らしい人物だったと褒めるクルツの最後の審判への畏れとして、死に際の言葉を吐き出させたのではないか。

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