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誰の課題なのかを考える【2021,9,18】
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自己啓発の源流“アドラーの教え”
ご存知の方は多いと思いますが『嫌われる勇気』という書籍。
この中のアドラーの教えに“課題の分離”というものがあります。
私はこれがアルコール依存症者とご家族の関わり合いにそのままあてはまると思うのです。
この本では勉強や引きこもりの子供を例にあげていますが、アルコール依存症者に置き換えて書いてみます。
たとえば目の前に「酒を飲まない」という課題があったとき、アドラー心理学では「これは誰の課題なのか?」という観点から考えを進めていきます。
本人が酒を飲むのか飲まないのか。本来これは「本人の課題」であって、家族の課題ではありません。
酒を飲まないことは本人の課題です。それに対して家族が「酒をやめなさい」と命じるのは、他者の課題に対して、いわば土足で踏み込むような行為です。これでは衝突を避けることはできないでしょう。
私達は「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです。
誰の課題かを見分ける方法はシンプルです。「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」を考えてください。
もしも本人が「酒をやめない」という選択をしたとき、その決断によってもたらされる結末──職を失う・信頼を失う・家庭を失う・病気になる──を最終的に引き受けなければならないのは、家族ではありません。間違いなく本人です。
すなわち断酒とは、本人の課題なのです。
ですがアドラー心理学は、放任主義を推奨するものではありません。放任とは、本人が何をしているか知らない、知ろうともしない、という態度です。
そうではなく、本人がなにをしているのか知った上で、見守ること。
お酒についていえば、それが本人の課題であることを伝え、もしも本人が断酒したいと思ったときにはいつでも援助をする用意があることを伝えておく。けれども、本人の課題に土足で踏み込むことはしない。頼まれもしないのに、あれこれ口出ししてはいけないのです。
アルコールに依存している状態から抜け出すのか抜け出さないのか、あるいはどうやって抜け出すのか。これは原則として本人が解決するべき課題です。家族が介入することではありません。
とはいえ、赤の他人ではないのですから、なんらかの援助は必要でしょう。このとき、もっとも大切なのは、本人が窮地に陥ったとき、素直に家族に相談しようと思えるか、普段からそれだけの信頼関係を築けているか、になります。
信じるという行為もまた、課題の分離なのです。相手のことを信じること。これは家族の課題です。
しかし、家族の期待や信頼に対して相手がどう動くかは、他者の課題なのです。たとえ相手が自分の希望通りに動いてくれなったとしてもなお、信じることができるか。愛することができるか。
他者の課題に介入すること、他者の課題を抱え込んでしまうことは、自らの人生を重く苦しいものにしてしまいます。もしも人生に悩み苦しんでいるとしたら、まずは、「ここから先は自分の課題ではない」という境界線を知りましょう。そして他者の課題は切り捨てる。
それが人生をシンプルなものにする第一歩です。
自分の持ちネタのように語りましたが、これは“嫌われる勇気”の本に書かれている内容をアルコールに置き換えたものです。
私以外にもしっくり来た方は多いと思いますw
他にもこの本には悩みのすべては対人関係であるというのとや承認欲求を捨てることなど、たくさん頷けることが書かれていますので気になった方は読んでみてくださいね!
本日も最後までご覧頂きありがとうございました!