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アル中みっちゃんの飲酒ライフ【非公開YouTubeあり】
家族や私自身がアルコール依存症だと気付くまで、そして通院に至るまでとても長い年月を要しました。こちらの記事は2019,8に通院を開始するまでの家庭環境や経緯などの記録です。
以下全て当時のブログからの引用です。
アルコール依存症治療、節酒記録
まず、去年(2019年)8月から精神科に通うようになりました。
もしかして自分もアルコール依存症(予備軍)じゃないのかな?!と不安に思ってる方多いと思います。
断酒って簡単にできません。私もです😅
まだ現時点で山あり谷あり、一進一退の毎日ですが、精神科への通院や飲酒量の記録などこれからがんばろう!って方のモチベーションにつながるように記録していきたいと思います。
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ちなみに今は39歳です。
毎日晩酌するようになったのは20代後半頃かな〜。
それまでもお酒は好きで結構な頻度でのんでました。
で、思い起こせば六年前。1か月の断酒に成功!!成功って言うのかはわかんないけど😅
なんとアホなことに1か月の禁酒祝をお酒でしたのです😱😱😱【アルコール依存症者は断酒後一滴もアルコールをとってはダメ、とったら一瞬でもとに戻ってしまう】ということを知らずに・・・
毎日飲む生活にもどるには本当に一瞬でした。
家族には断酒してると言っていたので挫折したとはいいきれず、ここから家族に隠れての飲酒が始まりました。
1か月の断酒の末挫折。家族に隠れて飲む日々。
6年前自分で決めて始めた断酒、家族も喜んでくれていただけに再飲酒(スリップ)にはかなりの罪悪感。
飲むペースは初めのうちは週一、週二でしたが・・すぐ毎日の生活へ。それも挫折したとは家族に言い出せす家族がいないときや酷いときは脱衣所や風呂で飲んだり・・
本数ももとの4本には留まらず、隠れて飲むと飲むスピードも早くなり本数も増えていきました😢
隠れて飲んで旦那にバレて怒られながらもそんな生活を続けました。
そこからが私が日中に飲む本物の『アル中』生活のスタートです。
隠れて飲む。アルコール依存症の進行
アルコール依存症の進行とも思わず、ただ酒が飲みたい一心で家族の目を見計らって飲むようになりました。
とくに家族のいない日中を狙って飲むようになりました。
週3,4はパートに出ていたので、パートから帰宅時(14-15時)にスーパーで買って帰って飲む。また、パートが休みの日は旦那が出勤後すぐさま買いに行くようになりました。
(家族には断酒後たまに飲んでるとしか思われて居なかったことや、飲酒を見られたら『やめたんじゃなかったのか!』と怒られるのが嫌で隠れて飲んでいました)
始めはそんな感じで週に何回かでしたが、そのうちこの【昼飲み】は毎日の習慣になりました。
まぁこれは楽しかったです。誰にも文句言われずまったり飲めるんですから🥺💖💖💖
酒に呑まれていく
そのうち隠れて飲むだけでは足りずに夜も飲むようになりました。
最初は夜飲む日は日中は飲まないようにしていたんですが【夜飲ませてもらえなかったらどうしよう】という気持ちから昼は予め飲んで、夜も飲めたら飲む。というスタイルになりました。
※旦那はお酒が好きではない人です
こうして朝晩飲むようになったのです。朝晩なので単純計算で量は倍に。
しかも【耐性】がつくため酔えるために必要な本数は増えていく。お酒の量は自然に増えても自然に減ることはない、ということはよく認識していました。
『このまま飲んだくれてあとは死ぬだけなんだな・・・』
そんな日々を送りました。
楽しくて飲んでいるというより飲んでいるのが当たり前、という状況にまでおちいっていました。
朝晩飲む隠れて飲むという状態が数年続き、アルコールへの依存はかなり強固なものになりました。
旦那に『身体に悪い!休肝日とれ!』と頻繁に言われていたので、夜【休肝日風】なものをとってその日は朝だけで我慢することもありました。
家族から見たられっきとした【休肝日】だったと思いますが・・。
毎日の旦那の罵声
当たり前ですが夜の【休肝日風】も月日を重ねていくうちにとれなくなりました。つまり朝晩だいたい12時間毎には体内にアルコールを補給する日々になっていったのです。
夜の【休肝日風】がとれなくなってからはまさしく地獄。
旦那に毎日怒られる。という日々が続きました。
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