運が悪いと思うことが起こるとき
この記事を読んでくださっている皆様の中には、今までの人生で「まさか自分にこんなことが起こるなんて」と思うような辛かったり悲しかったり、理不尽だったり、やりきれなかったり。。。というような出来事に遭遇したことが一度や二度はあるという人もいらっしゃると思います。
もちろん私にも、「ええっ〜〜、それはないでしょう???」と思うびっくり仰天な、「真面目に生きてきたのに、こんなに頑張ってきたのに、なぜ私がこんな目にあうの?」というようなことが何度か起こったことがありました。
今でもそのことを思い出すと、頭の中で勝手にマインド(思考)のおしゃべりが始まります。
そのとき起こったことに対して、マインドが理不尽だと思ったり、恨む気持ちが出てきたりすると、さらに思考の罠にはまってどんどん自分の正当性がクローズアップされ、自分が被害者だという気持ちに胸が重苦しくなったりします。
すごく昔のことでも、何かの拍子に思い出してしまって、思考のおしゃべりが勝手に始まることもあります。
でもですね。
わかったのです。
「ええっ〜〜?、まさか、それはないでしょう???」
と思うような自分にとって好ましくないことが起こったおかげで、それ以外のことが順調でうまくいっていたんだということに。
ご存知の方も大勢いらっしゃると思いますが、私たちが生きているこの地球では、陰と陽がうまい具合にバランスを保ちながら成り立っています。
闇が存在しないと光が見えないのと同じで、うまくいかないことや、辛い出来事が起こるから、うまくいったときは嬉しいし、嬉しかったり楽しかったりする出来事も起こるわけです。
時期的なものでも同じで、なぜか悪いことが重なるときがあるように、何をやってもたいていうまくいく時期があったりします。
もし過去の悲しい出来事について思い出して、辛い気持ちが蘇ってきてしまったときは、
例えばそれが対人関係(恋愛や結婚、友人・家族関係、職場やご近所さんとの人間関係など)の問題であれば、
ああ、あのことがあったから、あの嫌だったことが「陰」の部分を引き受けてくれたから、大きな病気にもならずに健康にここまで来れたんだな。
とか
あの人との関係は辛かったけれど、それ以外の人たちからはたくさん愛をもらったし、今、愛する人に囲まれて平穏に暮らせてるのは、あのときに学んだことのおかげなんだろうな。
などと思うことで、自分の身に起こってしまった出来事にポジティブな意味を与えることができるのです。
病気や怪我などの健康問題も同じで、健康を害してしまうときは、多くの場合、それまでの考え方や生き方が、本体の自分の目的に合っていないことから歪みが出ているという考えもありますように、そのことをキッカケに考え方や生き方が大きく変わり、その後の人生が楽にスムーズに流れるようになった方も多くいらっしゃるようです。
また、昔のことでなくても、今この場で、ついていないことが起こったりした場合も、
ああ、これは全体のバランスをとるために起こっていることなんだなあ。
と思うことで、一見、不運に見えることにも感謝の気持ちが芽生えてくることもあるものです。
これは、私が日頃から体感していることですが、起こったことに激しく反応しないで、淡々と受け止めていると、そのことがそれ以上悪化しなくなるようです。
反対に起こったことに必要以上にネガティヴな意味づけをして、なんてついていないんだろう、このままではさらに悪いことが起こるに違いないなどと、そのことに囚われてしまうと、堂々巡りになり解決に向かうどころか、まるで出口のない迷路に取り残されたみたいな気分になってしまい、実際、解決に長い時間と多大な労力がかかる場合があるように感じています。
不満や愚痴も同じで、起こった不幸話を、過ぎたこととして面白おかしく体験談として語る分には特に問題ないのですが、ただ、「こんな目にあった。」「こんなことをされた。」というふうに、不満や愚痴をいつも言葉にしていると、なぜか、その不満の原因がなくなるどころか不満が不満を呼んで、大きな不満になっていったり、さらなる不満の原因が出てきたりするので、幸せになりたい人は、不満や愚痴は、あまりたくさんは言わないほうがいいのではないかなと感じています。
ちょっとはいいんですよ。
でも特にパートナーに対する不満は、可愛くちょっとだけ、スパイス程度にしておいたほうが、いいかなって思うのです。
例えばブログにパートナーの不満や愚痴を書くと、なぜかアクセスが増えることがあるのですが、なぜ増えるかというと、世の中には人の不幸話が聞きたい人が結構多いからだそうです。
なぜ聞きたいかというと、たとえ本人が気づいてないとしても、実はその人自身も心の奥で不満を感じていて、無意識に自分よりもっと不幸そうな人を探して、安心したいという心理があるのだと思います。
反対に物事をポジティブに考えようと心がけて、前向きに生きている人にとっては、少しくらいならいいのですが、記事の内容があまりに誰かの悪口ばかりだと、読むのが辛くなってくるのではないかなと思います。
やはり言霊というものは存在していて、愚痴や悪口などのマイナスな言霊は、ポジティブな波動とは相容れないので、いつも否定的なことばかり言ったり書いたりしていると、自然と良い波動を持った人が離れていってしまい、他人の不幸話を栄養にして生きている人ばかり集まってくることになるかもしれません。
誰にだって好ましい面とちょっと苦手だなという面はあるものだと思います。
どうせお付き合いするなら、友人でも、同僚でも、その人の好ましい面に注目してお付き合いした方がいいし、ましてや一緒にいる時間が長い家族なら、いいなって思うところにスポットライトを当ててあげることで、ちょっといまひとつだなって思う部分があまり気にならなくなったりするものです。
今回もうまくまとめられませんでしたが、過去の辛い思い出に囚われてしまっている方や、最近ちょっと運が良くないことが続いて困っていらっしゃる方の気持ちが軽くなったらいいなと思って書いてみました。
<追記>
上記は1年前の記事です。
今は、過去に起こった出来事を思い出しても、マインドのおしゃべりは起こらなくなりました。
それが辛い思い出であっても、キラキラと細かい波動に満ちて、蜃気楼の中で輝いているようなそんなイメージしか見えなくなりました。
私の中で完全に過去が書き換わってしまったのです。
魔法の玉手箱の購読者の皆様は、過去と未来を書き換える方法の記事を参照してくださいね。
元記事:運が悪いと思うことが起こるとき(ミカリュス・ブルガリスの心の薬箱)January 16, 2017 16:13:17 テーマ:気づき