ワタシが深く強く本気で独立を決めた理由
安月給で貯金が底を付いた現実、折り返し人生も夢のない日々なのか?
40半ばオンナの敗者復活戦
20代30代半ばまで、
(ナース、雑貨屋、アパレルなど数社)
組織所属で守られた環境で働いていた頃から、
いつか自分の店、場所を作りたいなと思っていた
でも、ぼーんやり、まだまだ本気ではなかった
2011年オープンした三軒茶屋にある月工場では、初代雇われ店長として立っていた
オーナーは、京都の象工場のマスター
マスターはほとんど月工場には立っていなかったから、お客様は皆、ワタシが立ち上げた個人店で、みかさんの店だと思っていたようだったが、ワタシは出店費は1円も出していないので、ワタシは雇われだった
なので、もちろん、月給制だった
・・・
「喫茶店は、儲からへんで、それでもええのか」
と、雇われる時にエレファントのマスターは言っていた
2011年震災の年、
職がなくなるタイミングだったので、どんなことしてでも働かなきゃ生きていけないと思ったので、契約書も交わさず喫茶店の立ち上げ店長を決めた
「ピン芸人(個人店、独立)」になる手前の、「独立の練習」だ!と思った。
良いチャンスが巡ってきた!と思った
だがしかし、現実は厳しく、
40代独身(バツ1ですが)、都内在住、家賃、食費、年金、国保を払っていたら、ちょうど安月給はゼロ。
ちょっとの遊びは貯金を崩していたが、
4年がたった頃、底がつき始めていた。
人生で、1番貧乏になっていっていた
オーナーとの昇給交渉は、年度末ごとに3回。
その都度「喫茶店は儲からへんてゆーたやんか」というじっとりした言葉が繰り返されていた
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