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46編の詩集『#2』の公開と、こぼれ話


 本日、46編の詩とあとがきを収録した詩集『#2』を公開しました。
 note含めSNSに投稿した詩で構成されていますが、pdfにまとまっていて見やすいと思います。下記リンクよりDL可能です。

 


 この詩集は自分にとって節目の一つだと考えています。
 2023年9月より、本格的に詩を書き始めました。
 2023年11月より、SNSでの毎日投稿を開始。現在まで続いています。

 2024年5月、第一詩集(私家)を頒布。

 2024年6月、第一.五?詩集を公開。

 2024年10月、第二詩集(私家)を頒布。

 そして2024年11月現在、第二.五?詩集となる『#2』を公開しました。

 2023年9月から制作した詩および短歌・長歌は470編超に及んでいます。詩集『#2』に収録しているのは、そのうちのたった46編ではございますが、この詩は詩集の販売イベントで来てくださった方々に、誰をテーマとした詩を書くか、を指定いただいて書いた特別な詩たちとなります。


 せっかくの機会なので、収録詩のいくつかを紹介しようと思います。
 説明上『東方Project』の話が出てきますが、あまり気にしなくてもいいと思います。


■仕舞

 「首(ネック)の部分が壊れた琵琶」が人を模って描かれるキャラクター『九十九つくも弁々べんべん』を基にした詩です。
 詩の内容自体はこれ以外に言うことはないのですが(あるんですけど事細かに説明したところで冗長だと思う)、詩の構成としては、最近読んでいる現代詩の詩集たちをかなり参考にしました。名詞や動詞を脈絡なく登場させ、文章の合間に見える攻撃力と、特に言及されないバックボーンによって言葉を屹立させるのを試みました。

 ちなみに九十九弁々には『九十九つくも八橋やつはし』という琴の妹がいて、詩のタイトル『仕舞しまい』とはそういうことです。この言葉遊びも、ある同人誌が基になっているのですが、詳細は割愛します(言うことはあるんですが冗長になってしまうと思う)。


■違和の星々

 先述した『仕舞』とは打って変わって、内容に共感できればひどく読みやすい詩だと思います。思想をまったく隠していない。
 2023年に書き始めた頃はこういう詩を目指していたのですが、いまはそれだけでもない気がします。敬虔なラノベ読者の先輩が「ギャグ描写って(読む側にとって)合う合わないがあるから」と言っていたのですが、思想を前面に出す描写も同様だと思っています。思想に共感する人だけをかき集めてもエコーするチェンバーができあがるだけで、なんだかそれは目指しているものではないかもしれない、と、最近思っています。
 でも、思想がこびりついたものを書きたくなってしまう癖は未だにあって、そういう詩が『#2』含めこれまでの詩集にはちょいちょいあります。
 そこから脱するための、破壊的な現代詩の形式(『仕舞』に代表されるような)を取っているのが、超最近の出来事なのかもしれません。


■銀の国

 振り返ってみればこの詩も画一的な「思想」から脱しようとした形跡があるなと思っていて、断定的な語尾なのに、抽象的な対象のことを語っているのがこの詩だと思います。
 「銀」の正体について語らず、「法則」「細工」の中身について言及せず、「あらゆるものに喩えられる」の踏み込みを「ぼくの場合」と始めようとしながら、「あれら」で〆る。はぐらかしまくっています。
 芥川の『河童』だって、結局河童たちの世界が何だったのか、語り手の見ている景色の現実性がどれだけ確かなものなのか、ついぞわからないまま終わりますし、けれど語り手は河童との生活を至極大切なものとして回想しているところがありますから、なんというかこう、結局、大切なものなんて主観的だよな、という諦念にも似た何かがこの詩にはあると思います。この感想自体が思想でしょうか? ですが、どう解釈してもいいように書いたつもりです。


■朝焼けのさよなら

 第二詩集『境界渡り beyond boundaries』に収録した巻末詩でもあります。この詩の思想は今でも気に入っていて、至極大げさに言えば、メメント・モリ、盛者必衰、などといった言葉の体現の一つではないかと思っています。物事や人の死、何かの終わりを「痛ましい彩り」と言いながらも「嫌いにはなれない」「この世界を好きになってた証明」と〆ています。『博麗はくれい霊夢れいむ』というキャラクターとの独特のマッチも気に入っています。魑魅魍魎が跋扈する世界観の中で、人よりも長い寿命を持つ者たちと大勢向き合いながら生きている「人間」であり、東方Projectシリーズの主人公である彼女。異変解決のたびに首謀者と酒を酌み交わしていくことを繰り返し、しかしそのような繰り返しの日々もやがては終わるときが来る、そのことに自覚的でありながらも、終わりへの意識こそがいまの日々の彩りに必要なのだ、という気づきを語らせるこの詩は、まさに嫌いにはなれないものです。
 色気づいた自分の内面の一つが「この詩には五億リポストくらいついてもいいだろ」と一生語ってくるのですが、まったく現実に即していないので努めて無視しています。こういう詩の内容って抹香臭いというか、あるいは説教っぽいというか、実が伴わないと煙たがられるだけで響かないものなのだろうなと思っていて、結局自分はまだまだだな、と感じる限りです。



 紹介はこのくらいにします。
 『#2』のあとがきがえらく緊張感のある筆致になってしまったのですが、本当のところ本音でございまして(あとがきで真面目トーンの嘘を書くほどの胆力もない)、この一年の詩作を通じて、やっぱり自分には読んできた経験も書いてきた経験もまったくもって不足しているし、出逢いもうまく活かせていない、やるべきことが山とある、と実感しているばかりです。
 「質が伴わなければ必要とされることはなく、成長を実感することもなく、成長を実感しなければいずれ筆を折る」という言葉を毎晩の悪夢のように反芻する日々がここ一か月ほど続いています。最近はけっして質をないがしろにしたつもりはなかったのですが、世に溢れる素晴らしい作品を見ると、まだまだ詰めれる部分があった、公開まで焦ることもなかった、と思うことが最近よくあります。
 読むときも、書くときも、作品の一つ一つに真摯に向き合う姿勢が、まだ足りていないんじゃないか、と思う限りです。
 いい師に出逢い、いい仲間に出逢い、いい詩に出逢い、いい言葉を書きたいと願うばかりです。

 読んでいただいている皆さん、リクエストをいただいた皆さん、感想をくださる皆さんには、いつも刺激と感動を与えていただいています。心から感謝申し上げます。これからも、かけがえのない感慨を得て詩作を続けていきたいと思います。引き続きよろしくお願いいたします。