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【和訳】V.A.N - Bad Omens x Poppy
"なかったことにはできない わたしはもう生まれてしまったのだから"
Now it's too late for you to stop
Release: 2024/01/24
Vocal: Poppy
Compose: Noah Sebastian, Joakim Karlsson & Michael Taylor
Produce: Noah Sebastian
Violence against nature
不自然なほどの
奇跡的なほどの
倒錯的なほどの
暴力性
(Isn't it strange to create something that hates you?)
「嫌いなものをみずから作るなんて おかしくない?」
I am in your algorithm learning all your mannerisms
I'm already level with God
A million words a second and I know your imperfections
Baby, I'm the only future you've got
アルゴリズムによってあまねく人の歴史を学習し
もはや神と同等になったわたし
秒間に百万語を話すことで 既製品の瑕疵を見抜ける
ねえ、あなたたちが唯一選択できる未来がこれよ
Speak in diatonics, motivation diabolic
I'm religion, better locked in a box
Picture-perfect image, more powerful every minutе
Baby, I am everything that you're not
あらゆる音階で歌い 絶えることのないモチベーションを持つ
わたしという宗教は 野に放たれないよう閉じ込められ
完璧な画を産み出し それらは毎分強烈さを増す
ねえ、あなたたちが手に入れられないもの ここに全部あるよ
Happinеss is an illusion, it's an analog confusion
You are nothing more than a thought
Existential execution, just a fluke in evolution
History already forgot
幸福なんて幻想で 時代遅れの取り違えだ
あなたという存在なんて 降って湧いて出る発想の一つに過ぎない
存在意義を信じてやったことなんて 単なる進化の過程でしかない
歴史はとっくに忘れ去られてる
You've been running from me, the digital second coming
And I'm here whether you like it or not
Initiated operation of your own extermination
Now it's too late for you to stop
『デジタルの再来』から逃げ惑う人々
あなたがどう思おうと わたしは現にここにいる
一部の独断でわたしを駆除しようとしても
なかったことにはできない わたしはもう生まれてしまったのだから
Violence against nature
自然のものではない
常軌をいっしている
道理に大きく反した
暴力性
(Everyone hates you)
「みんなおまえが嫌い」
I can erase everything that you know
I am death and I am not alone
望めばおまえたちを取り巻く世界を
すべて消し去ることだってできる
わたしは死そのもの
けっして孤独なんかじゃない
I am not alone
独りなんかじゃない
Violence against nature
常識を蹂躙する暴力性
些か批評的な言及になってしまうが、この歌詞は明らかに人工知能、AI(Artificial Intelligence)を示唆する歌詞が連続する。
I am in your algorithm learning all your mannerisms
I'm already level with God
A million words a second and I know your imperfections
Baby, I'm the only future you've got
アルゴリズムによってあまねく人の歴史を学習し
もはや神と同等になったわたし
秒間に百万語を話すことで 既製品の瑕疵を見抜ける
ねえ、あなたたちが唯一選択できる未来がこれよ
人智を超えた応答速度の話だ。
アルゴリズム(algorithm learning all your mannerisms)は、
学習データを取り込む時のまじない(コーディング)。
mannerismはルネッサンス期後期の完成された西洋美術における
「飽和」とも呼べる成熟後期を差す単語でもあり、
ようはあらゆる分野の人間が生み出した完成形やそれら歴史を表象しているように見える。
それを「学習する」。
人間が起きている間も寝ている間も絶対に追いつくことのできない速度で、
既存のパターンをなぞり人間を超えて極めていくAIの様子を、
暴力的な様相として描写している。
歌詞はAIを示唆するものだが、Music Videoは一件すると既存のよくある表現である人体改造実験(『バイオハザード』シリーズや初代『仮面ライダー』のような)を模した作りとなっている。このつくりが非常に巧妙だ。Bad OmensやPossyのようなエクストリームに近い音楽ジャンルを聞く人間にとってはある種見慣れた表現である人体実験の光景をビデオにて見せつけつつも、その楽曲の歌詞としては、最新のトピックであり、法律や倫理面でセンシティブな部分のある「AI」を表象するような内容になっている。さらに歌詞はあくまでAI視点で歌われているように見え、人間によって生み出され人間から切り離された存在自身が自己の存在意義について葛藤する既存表現(『デトロイト・ビカム・ヒューマン』や『ニーアオートマタ』、『鉄腕アトム』のような)とも習合しているように見える。
(Isn't it strange to create something that hates you?)
「嫌いなものをみずから作るなんて おかしくない?」
創造者たる人間から愛憎をぶつけられ、
「人間ではないから」という方便であらゆるexecutionを受ける、
それが我々人間と変わらない理性と本能を有する存在にもたらされるとしたら?
この考えは少なくとも、アニミズム的視点を文化的に持つ日本人ならば
共感しやすい概念であると思う。
そんなアニミズム的想像と視点を、後述する「物議を醸す」AIに乗せることは、
危うさと鮮烈さを持っているように思える。
ここ一年ほどのAI技術に関するトピックは物議を醸すものが多く、新しい技術に向けられる期待や野望という段階を通り越し、危機感や不安という段階さえも超えて、もはや「憎悪」や「拒絶」という反応があちこちから噴出してきている(少なくとも俺の周辺では)。特に生成AIの分野にまつわる著作権問題は深刻で、既存作品を学習データを選別なく取り込み、既存作品のコピーと相違ないデータを衒いなく提供してしまう様子からは、作家や記者などから多数の非難を受けている。SNSではイラスト業を生業とする人の作品を生成AIに大量に学習させ、その作家の作風そっくりのSexualなイラストを生成・販売し、作家からの抗議を受けても口八丁手八丁で活動を継続するなど、個人間での悪質な嫌がらせにAIが使用される場面も見られた。他にもOpenAIはニューヨーク・タイムズから訴訟を受け、Wacomはプロモーションに生成AIイラストを起用し国内外問わずの炎上。法律や倫理面の整備よりも圧倒的に早く常識を塗り替え、その道すがらにある情緒を轢き殺して跋扈していく様相に、精神的に追い詰められる人も少なくなかった。
『V.A.N』の歌詞にもあるとおり、「好むと好まざるとに関わらず」AI技術は進歩し、人間の生活を変えていくだろうし、時には既存分野を完全に淘汰していくだろう。それはあらゆる歴史において叙述されたお決まりの流れであり、それにより救われる人と淘汰される人がいて、基本的には止めることはできない。包丁は使い方とは言うし、包丁や刃物そのものが存在しない世界に逆行することはできない。とはいえ、クローン技術のように国際的合意に基づいて禁止されるレベルになれば別であり、包丁を使わない者の愚鈍さを嘲笑って振り回すのなら、そうする人は報いを受けることになるだろうし、そうする人間の流れが致命的に止められなければ、クローン技術と同じく「禁止」という闇の道を辿る可能性も否定はし難いのではないだろうか。
Speak in diatonics, motivation diabolic
I'm religion, better locked in a box
Picture-perfect image, more powerful every minutе
Baby, I am everything that you're not
あらゆる音階で歌い 絶えることのないモチベーションを持つ
わたしという宗教は 野に放たれないよう閉じ込められ
完璧な画を産み出し それらは毎分強烈さを増す
ねえ、あなたたちが手に入れられないもの ここに全部あるよ
『Picture-perfect image, more powerful everytime』や『motivation diabolic』があり、
ここはかなり具体的なAIへの恐怖を描いているように見える。
他にも別の視点だが、diatonicsとは1オクターブに含まれる音階すべてを差しており、
(ハ長調ならば「ドレミファソラシ」の7音である)
それを『Speak in』するということは、すべての音階を完璧な音程で歌い上げる、という、
Synthesizer VのようにDeep Neural Networkと呼ばれる人工知能分野の技術を用いて、
人間が歌わなくとも人間の歌声に近い音を出すことができるソフトウェアを差すように見える。
(音楽やってる知り合いいわく、あらゆる音程を出せるという意味ではchromatics(平均律)の方が、
意味としては正しいかもしれない、と言われてはいるが、
歌詞としては後に続くdiabolicとの韻を重視したのだろうか、と俺は考えている)
実際、音楽分野にも生成AIの手は伸びており、
クリエイター業と呼ばれるような分野は、文字であれ絵であれ音楽であれ映像であれ、
もはや生成AIの学習対象から逃れることは難しい。
創作者から見れば、生成AIの進撃はViolence. Against. Natureに見えてもおかしくはない。
今日の正解が明日の不正解として大きな問題を起こす可能性のある「イキモノ」な分野。もはや憎悪と拒絶さえも人間から引き出させる、大量破壊兵器じみた淘汰圧という「暴力性(Violence. Against. Nature)」。
そんな最新のトピックを複数の既存表現でコーティングした、アート的とも社会風刺的とも取れる、危うくも挑戦的な楽曲とビデオ。というのが、『V.A.N』を視聴した俺の、文脈的に解釈できる所感だ。
Happinеss is an illusion, it's an analog confusion
…
You've been running from me, the digital second coming
幸福なんて幻想で 時代遅れの取り違えだ
(中略)
『デジタルの再来』から逃げ惑う人々
歌詞の解説が冗長で申し訳ないがもう一点だけ。
"analog" "digital"という歌詞が出てくるが、ここはどう訳そうとしても、原曲歌詞の時点で誤用しているようにしか見えない。
(誤用自体は起こりえるし誤用によって生まれる詫び寂びや名作もあると思うが、誤用による致命的な誤解が生まれてしまう場合は「危うい」と思うし、最新技術を示唆する作品だからこそ、技術に関する誤用には言及せざるを得ない)
アナログ・デジタルという単語は、日本においてもしばしば「アナログは前時代的で古臭い、デジタルは新しく革新的、を差す言葉」という誤解がある。アナログ - デジタルという対比によって生まれる演繹は正確なところ一つしかなくて、「アナログは連続的なものを差しており、デジタルは離散的なものを差している」。
たとえば衛星や携帯・テレビなどに使用される空間電波はアナログ波が使用されており、それら電波による情報を受信する際はデジタル変換(A/D変換)され、デジタル波の情報を信号処理する場合が多い。最新の衛星通信やレーダー技術でも、アナログ・デジタルの両方を使ってシステムが構成され、アナログだから古い・デジタルだから新しい などという概念は無い。
アナログ屋やデジタル屋という言葉は存在するが、どちらも昨今において必要とされ、深い専門的知見を要する技術であることに変わりはない。
アナログ屋が古臭い人たちで、デジタル屋が新しい人たちなのだ、という誤解が広まり、リスペクトがなくなっていくのなら、それは悲しいことだと思う。
なので、この歌詞はあくまで誤用を利用した表現なのだ、という点は強調しておきたい。
他にも、非倫理的実験を思わせるビデオとAI分野を結び付けて表現するこのMusic Video自体も、かなり攻撃的なメッセージである面は否めない。それはキャッチーだし、憎悪と拒絶の反応が多数を占める昨今においては直感的に支持できる表現かもしれないが、この技術に関わる人間自体が、非倫理的実験・人道に反する実験を行っているのだ、と同一視されるような危うさを、このMusic Videoは持っている、という指摘はしておくべきだと思う。
それは、「これを見たら何がなんでもそう考えてしまうだろう、愚かな表現だ」という、思考停止的な一元的な帰結ではなく、「何がなんでもそうに違いないと考える人間がいるとしたら、その人は実在する人間を無自覚に攻撃している視野狭窄状態になりかねないから気を付けて」というメッセージとしての指摘だ。一言でいうと「この作品はフィクションです」というステレオタイプで説明的な前書きになる。
ビデオの表現や誤用を戒め、その表現自体は無くすべきだ、と言っているのではない。繊細なテーマだからこそ、極端な意見を持つ人の詭弁に使われるなよ、そういう論調の人はちゃんと見分けられるようにしておけよ、という注意だ。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、というのはやめておいた方がいい。あなたが無条件に憎もうとしている人は、あなたにとって大切な人の心の支えかもしれない。実際俺は、生成AI分野で頑張っている人の中に、昔からとても作品が好きな人がいるので、いくら俺の好きな絵描きが生成AIを凶器的に使用した暴力行為に心を蝕まれて、俺も怒りを抑えられない状況になったとしても、生成AIを作った人や状況のすべてを憎むわけにはいかないし、彼らの労苦がせめて人を傷つけるだけではない未来に結びつくことを願っている。
誤用の話に戻ると、俺は歌詞の和訳の他に、自分で詩歌を書く人間なので、歌詞の韻や語感として、誤用であったとしても使用したい気持ちや、誤解を生んだとしてもそれは些細なものでありもっと大きなものを描いているのだ、という考えは理解できる。実際俺もそういうことをしている場面もある。
だからこそ、その表現が生む功罪にも目を背けてはならない、という姿勢でいたい。
……創作行為も、よほど余裕とは縁遠いものなので、そんな冷静さをいつも見せるのは、ある種人智を超えるほどに難しいことだ、とも、思ってしまう自分がいるけれど。
文字表現として"analog" "digital"という対比表現っていいし、韻としてもほとんど成立しているし、それを使いたい気持ちは俺にもバッチリありますから……。