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詩 描き手


詩 


 ぼくらはやがてほしえがけるだろうか、ほしというのは
 もはや夜空よぞらとどまっているものではなくて
 ひとびとのまえ
 親指おやゆび通過つうかひとつで颯爽さっそうとあらわれる
 きらびやかな配置はいち
 計算けいさんされた舞踊ぶよう
 魅了みりょうのための 活動かつどう
 あらゆるすべてを投資とうしして
 繊細せんさい排斥はいせきによるざんとおして
 高級料理こうきゅうりょうりのように
 スタジアムライブのように
 歴史的映画れきしてきえいがのように
 整頓せいとんされたたたずまいで 発光はっこうするものなのです
 ぼくらはやがてほしえがけるだろうか、えがくというのは
 あるがままをうつすことの肯定こうてい ではなくて
 矯正きょうせいされた苛烈かれつストイックすといっく姿すがた でもなくて
 そのどちらもをみとめようと
 
 きわめてむずかしい作業さぎょうです
 ぼくらはやがてほしえがけるだろうか、やがてというのは
 際限さいげん機会きかいつづいていくことではなくて
 いつかおとずれるわり、すなわち、
 この有数ゆうすう約束やくそく、を
 おぼえながらに
 けれど 焦燥しょうそうかれて
 すべてのきるものはらうような
 愚鈍ぐどんかえしはしないという
 あまりに絶妙ぜつみょう塩梅あんばいです
 ぼくらはやがてほしえがけるだろうか、
 ほしえがくというのは
 快楽かいらくちているものではなくて
 しかし 苦痛くつうだらけの修行しゅぎょうでもない
 むくわれる未来みらい想像そうぞうすることさえれそうで
 しかし けっして無為むいなわけではない
 それは前進ぜんしんであり しかし停滞ていたい否定ひていではない
 それはきびしさであり しかしやさしさの否定ひていではない
 ぼくらはつまり
 その境目さかいめを、慎重しんちょう往復おうふくする
 目指めざしているのです