詩 名付け
散文詩 名付け
名を付ける、という行為は、ある事象の性質を説明し、対処するだけの力を持つ。正体不明の事象にとっては、名を付けられることは、束縛であり、呪いとも言えるだろう。いっぽうで、人間の個人個人に対する名付けでは、これら事象に対する束縛的な効果は著しく弱まる。名付けの拘束力が及びにくい。それは、彼らが、思考を基盤として、激しい移ろいや迷いを繰り返す生き物だからだ。やさしく育つように優と名付けたり、何かを愛せるように愛と名付けても、その性質通りになるとは限らない。それらはニックネームであって、拘束力や呪いを与える「名付け」とはまた異なるものだ。いわば、ニックネームは「はかない祈り」であり、名付けとは「確固とした呪い」とも呼べるのかもしれない。
偏執だとか、臆病だとか、どきっとするような、図星であるかのような性質を、あなたが言い当てられたのだとしたら、それが「名付け」の持つ力の片鱗であり、「呪い」なのだ。
つまり、私が言いたいのは……。正体不明さ、曖昧模糊さ、茫漠さを武器に、人間の恐怖を生み出す、魑魅魍魎の類によって、「名付け」、言い換えれば分類、固体を識別するような行為をされてしまえば、喉元に真剣を突き付けられているのと同じような……生存に関わる、「呪い」を振り撒かれたのと同じだ。それは、殺虫剤で、毒ガスで、呼吸ができない。食事が摂れない。生理現象が狂って……のたうち回り、壊滅する。
多くの野良妖怪たちは、阿礼乙女のような編纂者による識別行為を許しているし、もはや存在を知られることを価値か何かだと思って、新しい生存戦略を始めているような節がある。もう誰も、不便なんて感じていないのかもしれない。けれど、私は、少なくとも私は、覚えているよ。
はじめて名前を呼ばれたときの、識別子を与えられたときの、首筋のすべてを刃に囲まれたような、冷たくて、一生涯消えないような、許せない感覚を。旧くから恐れられ成り立ってきた妖怪という像が、跡形もなく崩れていく、その恐ろしさを。
だから、わたしはこの、飼い慣らされ、延命させられてるだけの里が、どうしても気に入らない。
『東方星蓮船』に登場する正体不明の怪異『封獣ぬえ』を基にした詩