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Lost My Way - FELT【和訳】

だから何を選び、何を受け入れるのか
自分自身で決めなくちゃいけないんだ

- Lyrics: Renko
- Album: 15th Album "Cold Snap" (2014)
- Original: デザイアドライブ(東方神霊廟)



[Verse]
To open up secret paths,
Escaping the suffering
From those who keep following.
隠された道を進む
追いかけてくる苦悩の数々から逃れるために

We have a choice in this life.
Mistakes will be made so
It's up to each one to decide.

誰もが自分の人生において、道を選ぶ
間違いはその先で起きてしまうだろう
だからどの道を選ぶかは、その人次第なんだ

[Bridge]
Time keeps ticking by.
Don't realize something is wrong with me.
If I keep it inside,
I have no way to know if it's all right.
時計の針は進み続ける
どうか気付かないで、自分が間違っていることに
気付きさえしなければ、知ることはないのだから

[Chorus]
But when anger's bottled up inside,
Can I resist against unspoken words or try to hide?
Temptation rages into reality.
Even if I find the words to cry,
They disappear and leave behind the traces of my lies.
It's spilling over the side.
苛立ちを胸の内に閉じ込めたなら
抑えつけて、隠すことができるだろうか?
衝動的に怒りが出てしまう
泣きたい気持ちがあると分かったとしても
それらはすぐに立ち消えて、
吐き出してしまったら爪痕ばかりが残るんだ

Up in the sky,
Nostalgic emotions fill my eyes.
I know that though I've lost my own way,
It's still not too late.

空を見上げると
かつて抱いていた想いが、私の視界を満たす
道を見失って、迷い続けているけど
まだ手遅れじゃない
そう信じている

[Verse]
The many times I've tried in vain,
For one to confide in
Before it was locked away.
何度も試しては、失敗してきた
そのことを伝えたいんだ
思い出せなくなる前に

The wrong I've done you remains.
But do I accept that there's no way to take it back?

私があなたに犯した過ちは消えない
だけどそれは、決して取り返せないものだろうか?

[Bridge]
One chance to live life,
Can I make sense of it before I die?
"Forgive and to forget."
Take it all for granted and what do we get?
人生は一度しかない
命尽きるその瞬間までに、そのことを心から理解できるだろうか?
「忘れることで、自分も他人も許してあげよう」
それを当然のように受け入れて、一体何を得られるというの?

[Chorus]
Scaling up the walls of so-called life...
"Impossible" had been a word I chose to recognize.
But even so, I felt so ostracized.
Actions over words, the ones unheard.
Repeatedly, I never knew what was I fighting for.
The end was left in the dark.
人生は俗に「壁を乗り越えていく」ことに例えられる
私はそれに対して、「できるはずがない」と言っていた
だけどそう言い放つほど、孤独感が強まるばかり
行動は言葉より雄弁で、そうすることでしか得られないものがある
自分が何と戦っているのか、ずっと知らないままだった
だから目的なく見境なく戦って、目指す場所を見失ってしまうんだ

Up in the sky,
Nostalgic emotions fill my eyes.
I know that though I've lost my own way,
It's still not too late.

空を見上げると
かつて抱いていた想いが、私の視界を満たす
道を見失って、迷い続けているけど
まだ手遅れじゃない
そう信じている

[Bridge]
Time keeps ticking by.
Don't realize something is wrong with me.
If I keep it inside,
I have no way to know if it's all right.
時計の針は進み続ける
どうか気付かないで、自分が間違っていることに
気付きさえしなければ、知ることはないのだから

[Chorus]
But when anger's bottled up inside,
Can I resist against unspoken words or try to hide?
Temptation rages into reality.
Even if I find the words to cry,
They disappear and leave behind the traces of my lies.
It's spilling over the side.
苛立ちを胸の内に閉じ込めたなら
抑えつけて、隠すことができるだろうか?
衝動的に怒ってしまう
泣きたい気持ちがあると分かったとしても
それらはすぐに立ち消えて、
吐き出してしまったら爪痕ばかりが残るんだ

Scaling up the walls of so-called life...
"Impossible" had been a word I chose to recognize.
But even so, I felt so ostracized.
Actions over words, the ones unheard.
Repeatedly, I never knew what was I fighting for.
The end was left in the dark.

人生は俗に「壁を乗り越えていく」ことに例えられる
私はそれに対して、「できるはずがない」と言っていた
だけどそう言い放つほど、孤独感が強まるばかり
行動は言葉より雄弁で、そうすることでしか得られないものがある
自分が何と戦っているのか、ずっと知らないままだった
だから目的なく見境なく戦って、目指す場所を見失ってしまうんだ

Up in the sky,
Nostalgic emotions fill my eyes.
I know that though I've lost my own way,
I still can be saved.

空を見上げると
かつて抱いていたものが目頭に込み上げる
道を見失い続けているけれど
それはきっと見つかる、迷いはいつか断ち切れる
そう信じている


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 ここからは解説という名の主観に基づいた蛇足であり、僕個人が得たインスピレーションの単なるメモです。

 

 一見ポジティブでありつつも時々抑圧的な主張が見え隠れする歌詞で、
 内容を3点でまとめると以下のようになります。

■袋小路からの脱出譚(脱出中)
■前進や挑戦の肯定、それを否定する失敗への恐れやネガティブ感情の否定
■自己暗示による自身の鼓舞

 で、その根拠として、歌詞の主張を要約すると以下。

歌い手は袋小路からの脱出を図っている(現代風に例えるなら、家庭、学校、職場等、閉塞的環境。比較的昔の価値観なら家柄や血筋等)
どんな道でも失敗は起こるので、自分の選んだ道で失敗が起きても気にしない(挑戦に伴う失敗の肯定)
前進の足を引っ張る自身の感情は無視(違和感や苛立ち、涙はストイックに無視)
・前進に失敗はつきものとは言っても失敗が消えてなくなるわけではなく、それを忘れないことがまた前進の活力になる(許しても忘れてもいけない、自分が犯した犠牲を弔うために立ち止まるわけにはいかない、という理由付け)
・かつては「挑戦壁越えクソ食らえ」と歌い手も言い放っていたが、そうやって手を動かさない時間の中で、正体の分からない不満があった、という過去を経て今は前進している(経験則に基づく停滞の否定
・ただし、ここまで強い言葉を言い放ちながらも、曲名通り歌い手は道に迷っている最中(道に迷っているからこそ強い言葉で自分を鼓舞している?)


 上記のような歌い手の感情・願いが読み取れました。普遍性を歌うというより、自身に向けた叱咤や激励であると捉えられそうです。それが歌を聴く人にとって、自分に向けられているかのように感じるような歌詞なのは事実ですが……。

 個人的に、歌詞を読んだ感想として書き残してしたいことは2点です。


■原曲との関連性:霍青娥の境遇との矛盾

 原曲であるデザイアドライブと、その面のボスである霍青娥との関連性を調べました。
 結論から言うと、霍青娥のパーソナリティと、Lost My Wayの歌詞における「前進の肯定」について、個人的には霍青娥の過去として当てはめられる一つの解釈なのではないかと思います。

 霍青娥は元ネタ上、仙人となった父親に憧れ、自身も仙人となるべく、人間としての生活よりも仙人となるための方法に執心する様が描かれています。
 個人的に思うのは、仙人になる/道教の教えに従い仙人を目指すということは、人間としての雑念や浴びせられる雑言ではなく、孔子など先人の教えに従って『欲望の類の一部を滅却する生き方を選択すること』だと思います。そして、霍青娥が生まれながらに仙人ではないと言うことは、逆説的に彼女にも人間としてそれらの感情と戦う時期があったのではないか、あるいは仙人であり続けるためには今現在も生まれ持った人間としての性と戦うことが彼女が彼女であり続けるための必要事項なのではないか、ということです。
 つまり、このLost My Wayにおける前進と迷走の歌詞は、霍青娥が仙人になるため、あり続けるために通る自己との戦いの道すがらを描いているのではないか……というのが、僕個人の意見です。


 ただし、霍青娥のキャラクター性を追うと、己をより上のステージへと高め、物事を進歩させる前進とは、いつ何時も素晴らしいものなのか?ということについて考えさせられる描写が出現します。

 東方Project中では、霍青娥は仙人であると同時に『邪仙』として描かれています。

(前略)目的のために家族を欺いても平気な顔をしている上、人目に憚るような行いも厭わないという彼女の性格が災いし、天からは「仙人」と認められずに「邪仙」へと堕ちてしまった。
それでも本人は自らのことは頭脳明晰、金剛不壊、不老長寿の「仙人」であると謳っている。しかも道教を広めるという建前で、自分の力を他人に見せびらかす事が趣味。
……とまあ人格的に問題だらけなので、心の底から悔い改めでもしない限り「正式な仙人」になれる日など永遠に来るまい。 -pixiv大百科

 霍青娥が登場する東方神霊廟においても、時の聖徳太子に道教を教えた背景として「自身の力を公言したかったから」という極めて私欲に満ちた動機であることが説明されています。

 『道教を志し自身を高め、その副産物として自身との戦いを強いられる』
 『仙道を極め、拡める行為のためには手段を選ばず、その動機は私欲』

 原作を追うと後者の部分が目立ちますが、元ネタの生い立ちや道教のことを追っていくと、前者のような部分が霍青娥自身にもあったのではないか。前者のような厳しい修練や誰も追いつけないような苦難の成果が、彼女が彼女自身を優れた人間であると肯定するための助力となってしまったのではないか。など、考えてしまいます。

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 勧善懲悪、性善性悪と一刀両断できるような悪役ではなく、一部の面(道教を志すストイックな姿勢)では尊敬できる悪役である。といった印象が、今回調べてみて強くなりました。 仙人とは生まれながらに仙人ではなく、修練の果てに辿り着いた境地である。その気持ちが、彼女の自尊心をより強めてしまったのかもしれません。自分の通った道を、誰しもに適用できると流布してしまうタイプの成功者になってしまったんだろうな、とか。


■前進は一概に是か?その副産物とは何か?

 ここからは普遍的な解釈として記述するのですが、前進の肯定って、いつ何時誰においても必ずしも是ではないよね。という話をしたいと思います。

 安直なものですが、僕が日本人であるため日本における例を示します。

 日本人においては、終戦後の高度経済成長によってGDPの増加や目覚ましい都市の発展等、戦後の人たちが死に物狂いで頑張ってくれたおかげで日本のブランドは世界に通用するレベルに押し上げられました。
 それを経てもなお、未だ現代社会における問題の多くは解決していません。自殺率の高さ、いじめ、貧困、精神疾患の表面化など、思いつく問題は枚挙に暇がありません。
 ここらでよく取り沙汰されるのは、世代間の理解の断絶です。高度経済成長期を支えた年配の方々の一部や、あるいはその当事者ではないにせよ、高度経済成長期の人々の働きぶりを引用する人物が、「昔の人たちはこれだけ頑張っていたのに、今の若者は情けない。」と、現代人の問題は怠けにあると非難する場面をしばしば見かけます。そういった場面を見る度、現役世代は辟易し、「何が成長だ。だいいち成長した結果こんな社会になっているならば、お前たちのやったことは何一つおれたちを幸せにしなかったじゃないか。お前たちの勝手でやったことを俺たちに押し付けるな」と反駁したくなるものです。

 この水掛け論を、主張する双方の納得という妥協に導くうえで、重要なのは以下だと考えます。

・社会情勢やお金の回り等、前提条件が70年前と現代では違う。
→前提条件が異なるということは、たとえ同じように頑張っても成果が出ない可能性がある。
・高度経済成長のお陰で日本社会が"発展"したこと自体は事実
→発展の副産物は多々ある。一例として、良い面では、よっぽどのことがない限り飢えることがないほど多くの国民が経済安定したこと。悪い面では、前進こそが是なんだという価値観を残したことや、終身雇用が当然という価値観によりそれ以外の選択の肩身が狭くなったこと。とはいえこれら長所・短所も裏返しであり、人によっては長所によって不利益を被ることもあれば、短所によって自身の生きる道が示されることもある。ようは、どれだけ悪いと見えることでも救われる人がいたり、どれだけ善いと思われることでも誰かを苦しめていたりするのが世の中の常だということです。それが変化がもたらすものであり、すなわち生きるということです。
・「頑張れば成果が出る時代」の勝ち方を「頑張っても成果が出ない時代」に適用し正当化しようとすれば、後者の時代のプレイヤーは間違いなく精神的に疲弊する。
→成果が出ないものに投資し続けるのは多くの人間にとって困難。これらが企業病や鬱、自殺の実態として表面化している印象を受ける。

 だらだらとまとめましたが、要するに前進が必ずしも恩恵をもたらすとは限らないという話です。

 すべての物事には良いと捉えられる面と、悪いと捉えられる面があります。たとえばAさんが、めちゃくちゃ頑張って、雑念も振り払って、ある成果を達成し、多くの人から賞賛されたとしましょう。かたや友達のBさんは、自身が精神的にも能力的にも虚弱であることを理解し了解しています。
 ある時Aさんがふと、「努力すれば報われるとは限らないが、努力しなければ報われる可能性はない。向上心のないものはばかだ。確定しない未来を自分の判断で棒に振るなんて、この世に生まれた意味がない。おれは自分は無価値でないことを証明するために戦う」などと呟いたとします。
 それを聞いたBさんは、自身に触れられたような気持ちになり、つい反論します。「ぼくは今まで自分なりに全力で頑張ってきたけど、それでも何の成果も出せなかった。大きな目標を持ったこともあったけど、それは必ず失敗し、大切な人達を深く傷つけてきた。ぼくが無能なんだ。だから、ぼくは頑張るべきじゃない。せいぜい息をひそめて、おだやかに、だれにも看取られず死んでいくべきなんだ。だから頑張れなんて安易に言わないでくれ」
 Aさんは自身のアイデンティティである『前進』の理念が間違っていると言われたようになり、不安になり、Bさんと言い争いになります。最終的にBさんが、「ぼくの発言自体が無能の証明だった。ぼくは何も言わないべきだった。ぼくには生きる価値も話す価値も息をする価値もない。本当に申し訳なかった」と折れ、さらにBさんは数日後、自殺未遂をし精神病棟入りとなり、二度と社会に復帰できる日はありませんでした。
 Aさんはその事実を知ることのないまま、自身の信念を信じたまま、結果的に大成しました。そしてAさんは言い放ちます。「戦わなければ勝ち取れない。誰しも無能であるはずはない。戦うんだ」

 素人が5分で書いた稚拙な創作話ですが、こういう話において、Aさんが手放しに善いことをしたと評価することもできなければ、Bさんに寄り添わなかったAさんが全面的に非であるとか、Bさんがもっと頑張ればよかったとか、外野からは後出しじゃんけんでいくらでも言えるんですね。
 これは相手の前提が自分とは違うかもしれない、相手の生い立ちや生まれ持った能力、あるいは環境が自分とは似ていても全く非なるかもしれない。といった疑いを持たずに、自分目線で話をしてしまったが故に起きた問題です。しかし、「前進する」と覚悟を持ち、自分の雑念や周囲の言葉に耳を傾けず自分の意思一本道を信じるAさんに、そんな余裕はあったでしょうか。そういう余裕を持てと、外野から要求することは果たして道理でしょうか。

 どれだけ全力を賭しても、その道すがら失敗することが世の常ですし、その矛先がたまたま具体的な人間に向いてしまった場合、成功者は加害者として牙を剥くことがあります。これは誰が悪いとか、未然に防げたとかの問題ではありません。そんなことは後からいくらでも言えますが、当事者はまず気付かないし、この世に幾億も組み合わせの存在するケースを実体験や追想によってなぞり、失敗したり成功したりを繰り返すことでしか通常人間は学習できません。
 もしこういった失敗をせず、だれも傷つけないためなら、だれもがBさんのように「誰にも看取られず、誰にも干渉せず生をまっとうする」しか選択肢はありません。そして、Bさんの主張を、「それではあまりに悲しいじゃないか」と自身を奮起するAさんは、果たして間違っていると言えるでしょうか。その道すがらBさんのような人を傷つけるのが嫌だというなら、そうならないために人類全員がBさんになるべきでしょうか。


 とまあ……色んな話をぐちゃくちゃにして書いてしまいましたが、要するに言いたいことは、失敗しないなんて不可能だし、生きることを諦めろと言うのは生き物である以上無理難題だし、だからといって前進を押し付けると無意味に人が死ぬので、結論、人はその人個人の信仰を基に、誰に押し付けるでもなく、本人の生き様として頑張るしかねえよなという話です。
 Bさんを傷つけるのが嫌ということを第一に置くなら、静かに穏便に暮らすのも選択肢でしょうし、Bさんに落ち行くと結果的に誰かを不幸にしてしまうと考えるならAさんであることを選ぶのも十分ありな選択です。あるいは、両者をハイブリッドにして、あくまで自身はAさんでありつつも、Bさんのような人を加害しないため相手の立場に立って考える努力をするとか、仮に失敗してしまったら謝罪し誠意を尽くすという姿勢もありでしょう。ただし、これは理想論的なアウフヘーベンであり優秀な人でしか成し得ないかもしれませんので、前述の通り人に押し付けるべき価値観ではないとも言えます。とどのつまり、みんな自分にできること、やっていて気持ち悪くないことを選ぶしかない。

 社会貢献するのも人を幸せにするのも静かに暮らすのも全部その人の勝手です。その生き方がたまたまうまくマッチする人どうしは仲良くすればいいし、それが肌に合わない人同士で押し付け合って殴り合う必要なんて基本的にはないはずだよな、というのが言いたいことです。
 ようやく歌詞の話に戻ると、歌い手の放つ『前進の肯定』や『感情の否定』は、「歌い手の意見なんだなあ。この人は、少なくとも今は、こうやって生きていたいんだなあ」と受け入れつつも、それを自身に適用できるかできないかは別問題だし、無理に影響を受けたり全肯定・全否定する必要も全くないということです。「お前はお前の思うように頑張ってくれ。おれはおれの思うように頑張るから」という話。互いの人生を生きる上で、互いの目的が干渉してどうしようもない争いになってしまうことはありますが、その時は「その考えはおかしい」という論ではなく、「まあそう考えたんなら仕方ないよね、お互い生きてるんだから」とせめて言ってから殴り合いたいなあと思う次第です。
 信念のぶつかり合いは本当に不毛で、お互い生きてきた前提も違えば目的としていることも違う中で、個人個人の中で納得のいく信念を持っているだけで、それを相手に理解しろと強要するのは変な話です。

 とはいえ人間難しいもので、社会的動物であるがゆえに考え方を理解してもらいたいという孤独感が働いて、理解してもらえないことを怒ったりして、争いが起きてしまうんだよなあ。そこは本当に人間が生まれながらに持つ業やら執着やらと言えるような性なんだけど。あと、稀にそれがない人もいるだろうけど。

 つまるところ、前進は万人に適用できる是ではありませんが、その人個人に適用できる是であり、その人が納得して生きるためなら別に良いんじゃない?と思うし、その前進の志が故に他人を傷つけることもあるけど、別に傷付けたくて傷つけてるんじゃないんだなあということを傍目には理解して見送りたいなあと思う次第です。
 僕はこの歌詞を見た時、歌い手に対して一抹の不安をおぼえて、「このままだと破滅するぞ。友達なくすぞ。それじゃよくないじゃん」とか、「この歌詞に触発されて前進を是としたら、幸せになれない人が出てしまうかも」なんてことをこねくり回して誇大妄想的に考えてしまい、そういった記事を一度書きそうになりましたが、この僕の主張は、前進がもたらす悪い可能性を炙った一面にすぎません。人間関係が刷新された結果その人がより生きやすいステージに行く可能性もありますし、その人が本当に優秀で破滅ではなく自身の願いを叶えてしまうかもしれません。むしろ自分がそうやって悪い面を伝えることで足を引っ張る可能性もあります。
 だから最後には、誰彼の意見でもなく、前進が是か非かという二元論や普遍的な視点ではなく、「自分に合う方法を自分で決めましょう」と言いたいなあ、と思う次第です。そういうことを、このLost My Wayの歌詞を見て考えました。


 以上です。いつも以上にぐちゃぐちゃとした記事になってすみません。この記事書くのに一か月半くらい何万字も書いて色んな考え方を見て悩んで最終結論がこんな感じです。自分としては納得したのでとりあえずここまで。ありがとうございました。