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Dreamstate - Dayseeker【和訳】

"きっと夜が来たら、夢に貴方を見出すだろう"
And maybe when the night comes
I'll find you in another world

Title: Dreamstate
Band: Dayseeker (2012-present)
Album: 5th Album "Dark Sun" (2022, Unreleased)
Vocal: Rory Rodriguez
Lyrics: Rory Rodriguez & Daniel Braunstein


[Intro]
Dreamstate
夢見てる

[Verse 1]
Always told me to keep you close
The feeling's fading when you're a ghost
I dream of colors that light your face
But real life showed me it takes away

「ずっと傍にいて」と言い続けていた君
君の魂が遠く離れるにつれ、その時抱いた気持ちを忘れていく
記憶の君から失われた色彩を取り戻そうとした
けれど現実は、ただそれを奪い去っていくだけ

[Pre-Chorus]
'Cause every time I wake up
I'm waiting for a miracle
And maybe when the night comes
I'll find you in another world

だって目覚める度に、奇跡を待ってる
きっと夜が来たら、夢に貴方を見出すだろう

[Chorus]
So how do I live in a dreamstate?
When nothing is real when I'm awake
The sun rises but I know i'm afraid
I'm living in a dreamstate

夢の中で生きていたい
目を醒ましても、何も現実味がないから
陽が昇ることが恐ろしい
夢の中から追い出されたくないから

[Verse 2]
Death played victim through hide and seek
You felt its cold touch when you were weak
Your soul departed, the sky turned blue
But when I'm sleeping, I talk with you

死は「全部お前が悪い」と責め立てる
君の肉体が弱っていた時、それを酷く冷たいと感じただろう
君は遠く離れて、空はただ青くなってしまった
けれど眠っていれば、君と話すことができる

[Pre-Chorus]
'Cause every time I wake up
I'm waiting for a miracle
And maybe when the night comes
I'll find you in another world

だって目覚める度に、奇跡を待ってる
きっと夜が来たら、夢に貴方を見出すだろう

[Chorus]
So how do I live in a dreamstate?
When nothing is real when I'm awake
The sun rises but I know i'm afraid
I'm living in a dreamstate

夢の中で生きていたい
目を醒ましても、そこが現実だと信じられないから
陽が昇ることが恐ろしい
夢の中を追い出されてしまうから

[Breakdown]
Cause every time I wake up
I'm waiting for a miracle

だって目覚める度に、奇跡を待ってる

I can try but it blinds when I walk through hell
Now my dream's a reminder

地獄を歩いても、何も見えないまま
夢はただ思い出させる

I know that nothing is real
Nothing is real
Nothing is real
No, the pain won't erase, I can not wake

何一つ現実じゃないこと
痛みは消えないこと
現実に生きるのは辛すぎるということ……

[Chorus]
So how do I live in a dreamstate?
When nothing is real when I'm awake
The sun rises but I know I'm afraid
I'm living in a dreamstate

夢の中で生きていたい
目を醒ましても、そこが現実だと信じられないから
陽が昇ることが恐ろしい
夢の中を追い出されてしまうから

The sun rises but I know i'm afraid
I'm living in a dreamstate

陽が昇ることを恐れている
夢の中を追い出されてしまうから

I'm living in a dreamstate

夢の中に在りたいから



【訳について】



 この楽曲"Dreamstate"は、世界観や歌詞が、過去に翻訳した楽曲"Dream or Reality" (Artist: Squall Of Scream)と非常に似ています。
 現実への無力感から来る夢への逃避、切望という状況は、集合的無意識のような形で、人が持つ普遍的で潜在的なものなのかもしれません。

 そうして歌い手は、今は夢の中にとどまることを選びました。それもきっと、自分の意思でそこから脱する未来ではなく、何かに阻害されて夢が崩れるか、本当に自分が終わってしまうその時まで夢が続くかの2つしかない。生きるべきだった現実をすげ替えて、二度と会えない君というもとの現実に失望して、ただ殻に篭ることしか今は考えられない。そういった浮遊するような温かい夢の中で、全くの安心とは言えない不安感を抱きながらも、星がゆっくりと堕ちてくる夜空を静かに眺めながら、会うべきだった君と偽りでも手をつなぎながらそこにいることを選んでいる。そういった、嘘に満ちた、妄想に満ちた、緩やかに過ぎていく優しい時間の歌だと思います。

 自分が考える「現実、他者との関わりへの絶望から来る夢への逃避」と、「夢への逃避から脱して現実を生きたい場合の方法の1つ」については、上記記事で散々語り尽くしたので、本記事では"Dreamstate"の楽曲について訳の経緯を説明していきたいと思います。 


■現世に顕現したもう一つの天国=夢

 生者から故人に対して「天国でまた会える、それまで待っていて」という言葉がかけられる場面が、創作や現実において頻繁にあります。身も蓋もないことを言えば、これは生きている人が納得するための言葉であり、死人にこの言葉が届く確証はありません(誰も天国や霊の存在を証明できない)。
 この言葉が持つ重要な意味は、生者にとって「故人と二度と会えないわけではない。しばらくは会えないが、生を自分なりに全うすれば、その最期には故人に顔向けできるだろう。だから精一杯生きよう」という理由付けであり、この言葉は生者にとって自分自身への『励まし』足り得るものです。故人が遺された生者にとって重要で大切な人であるほど、その喪失は大きくなりますし、最悪の場合は世に未練を見出せず、君のいない世界ならばと自死や破滅を選ぶこともあります。そうならないよう、これからも胸を張って生きられるよう、故人を偲びながらもこれからの生を前向きに過ごすと強く決意するための決意、踏ん切りが、この言葉です。

 ですが、「天国でまた会える」という言葉では『励まし』にならないほど、故人を失ったことに深く傷つき、何もかも見失ってしまう人もいるでしょう。手にしていたものが失われてできた喪失の大穴に、何をあてがうか、何を埋めるか、まったく手がかりも掴めず顔を伏せるしかできないこともあります。その整理は大変で取り扱いが難しいにも関わらず、万人にとって訪れる可能性があります。死別は、それほどまでにポピュラーで、ありふれた、しかし強烈なイベントです

 『Dreamstate』の歌詞には、you(君)との死別が示唆されるような描写があります。

Always told me to keep you close
The feeling's fading when you're a ghost
I dream of colors that light your face
But real life showed me it takes away

「ずっと傍にいて」と言い続けていた君
君の魂が遠く離れるにつれ、その時抱いた気持ちを忘れていく
記憶の君から失われた色彩を取り戻そうとした
けれど現実は、ただそれを奪い去っていくだけ

The feeling's fading when you're a ghostは、直訳で「君が霊になってしまった」ことを示します。
But real life showed me it takes awayは、現実=死別 と捉えれば、死別が君のit = colors that light your face(君の顔の色彩)を奪ったことを示唆しています。

Death played victim through hide and seek
You felt its cold touch when you were weak
Your soul departed, the sky turned blue
But when I'm sleeping, I talk with you

死は「全部お前が悪い」と責め立てる
君の肉体が弱っていた時、それを酷く冷たいと感じただろう
君は遠く離れて、空はただ青くなってしまった
けれど眠っていれば、君と話すことができる

Death played victim through hide and seekは「死は見え隠れしながら、お前のせいだと責め立てた」で、死そのものを示唆しています。
You felt its cold touch when you were weakYour soul departed, the sky turned blueは、you were weak「君は弱っていた」からYour soul departed「君の魂が遠くへ行った」へ変遷しており、死の間際から死別に至るまでの過程であるように見えます。

 上記2か所のVerseにて記述されている通り、you(君)はI(歌い手)と死別しています。


 また、歌い手はyouとの死別の後、こういった行動をしています。

 I dream of colors that light your faceBut real life showed me it takes awayは、歌い手が現実を嫌い、夢の中へと逃避する過程を示しています。「夢の中で君の色を取り戻そうとした」→「現実はただ君の色彩を奪って行った」。
 やや意訳を含みますが、別れには忘却が付き物です。人は他人に対して、最初は声を忘れ、やがて顔を忘れていくと言います。顔を忘れる過程として、輪郭やパーツは分かっているものの、どんな色だったか、どんな温度だったかを忘れてしまう、という状況があるとするならば、「死別から時間が経つにつれ、記憶から君の顔の色彩が奪われていく」「それを夢の中で取り戻そうとした」ということは考えられないでしょうか。

 すなわち、歌い手は夢の中に天国を見出しており、夢の中で君と再会しているのではないでしょうか。

 Your soul departed, the sky turned blue→But when I'm sleeping, I talk with youの流れは、上記を更に強力に補佐します。「君の魂が遠く離れて、空は青色に変わってしまった」→「けれど眠りにつけば、君と話すことができる」……。

 ここまでで、「夢の中で君と会える」という考えを歌い手が持っていることが分かります。


 1つ浮かぶのは、「現実を真面目に生きて、その上で睡眠中に"you"を忘れないで再会できるのなら、素晴らしいことではないか」という肯定的な見方もあるのでは、ということです。
 しかし残念ながら、下記に示すChorusの歌詞より、歌い手は、現実を受け入れ、真っ当に生きることができない状態にあると考えられます

So how do I live in a dreamstate?
When nothing is real when I'm awake
The sun rises but I know i'm afraid
I'm living in a dreamstate

夢の中で生きていたい
目を醒ましても、何も現実味がないから
陽が昇ることが恐ろしい
夢の中から追い出されたくないから

 訳のとおり、歌い手は目が醒めることを恐れており、夢の中での仮初の閉塞、想像のyouとの出会いに想いを馳せています。それ以外の現実が受け入れられないとばかりに。

すなわち、歌い手は、露骨に、夢を肯定し、現実を否定しています。

 死別によって君の記憶が薄れて、二度と会えもしないくらいならば、夢の中で想像の君と出会って色彩と温度を取り戻したい。
 天国は現世にあり、それは睡眠中の夢の中にある。「天国でまた会える、それまで精一杯生きる」という言葉は歌い手の励ましにはならない。「君がいない世界で生きる意味/自信がない」のだと想像できます。
 ならばいっそ、君の色彩や表情、声がまだ記憶にあるうちに、夢に眠ってしまえばいい。夢の中で君を鮮明に思い出せばいい。


 現実に対する苦しみについて、歌い手は下記のように述べています。

I can try but it blinds when I walk through hell
Now my dream's a reminder

地獄を歩いても、何も見えないまま
夢はただ思い出させる

I know that nothing is real
Nothing is real
Nothing is real
No, the pain won't erase, I can not wake

何一つ現実じゃないこと
痛みは消えないこと
現実に生きるのは辛すぎるということ……

 現実を地獄であると訴える。夢は現実の苦しみを思い出させ続ける。夢の中にいる限り、目を醒ますくらいなら夢の中に在りたいという気持ちが強く膨らむ。朝日を拝みたくもない、夢を追い出されたくない、ずっとそこで、亡き君のことを思い出せる状態でいたい……。

 かくして、現実から逃れ、夢に浸り、永遠にそこに居たいとまで述べている歌詞に見えるのです。


■訳の理由

・dream of…の持つダブルミーニング

Always told me to keep you close
The feeling's fading when you're a ghost
I dream of colors that light your face
But real life showed me it takes away

「ずっと傍にいて」と言い続けていた君
君の魂が遠く離れるにつれ、その時抱いた気持ちを忘れていく
記憶の君から失われた色彩を取り戻そうとしたけれど
現実は、ただそれを奪い去っていくだけ

 dream of……は「~を夢見る」という日本語訳になります。
 夢見るという状態は、①実際に夢の中でそれを見るということ ②起きていながらそれを渇望すること の2通りに分かれます。
 夢に関する歌詞が続く楽曲であるため①の意味だと一義的に決めそうになりましたが、①と➁のどちらの意味であっても矛盾はなく、どちらの意味でもある、という形が最も美しいと思います
 すなわち、夢の中で君の記憶を取り戻している。そして、起きている間は必死に色を取り戻そうとしているが実際には君の不在に記憶が奪われ続ける。この両方の意味を含むのが、この歌詞におけるdream of…の表現になっていると考えました。


・死は生者の彩りさえも奪う、余命さえも死んだ時間にする

Death played victim through hide and seek
You felt its cold touch when you were weak
Your soul departed, the sky turned blue
But when I'm sleeping, I talk with you

死は「全部お前が悪い」と責め立てる
君の肉体が弱っていた時、それを酷く冷たいと感じただろう
君は遠く離れて、空はただ青くなってしまった
けれど眠っていれば、君と話すことができる

 play the victimは「被害者ぶる」という日本語訳になります。この言葉の英語での含意は、wikipediaの記載が詳しいように思いました。

Victim playing (also known as playing the victim, victim card, or self-victimization) is the fabrication or exaggeration of victimhood for a variety to reasons such as to justify abuse to others, to manipulate others, a coping strategy, attention seeking or diffusion of responsibility. A person who repeatedly does this is known as a "professional victim".
 "Victim playing"("playing the victim", "victim card, "self-victimization"とも)は、他人への虐待を正当化する、他の人を操作する、coping storategy(心理学:コーピング)、注意を引く、責任を分散するなど、様々な理由で被害者であることを捏造または誇張することです。これを繰り返し行う人は「プロの被害者」とも言われます。

Dehumanization, diverting attention away from acts of abuse by claiming that the abuse was justified based on another person's bad behavior (typically the victim).Grooming for abusive power and control by soliciting sympathy from others in order to gain their assistance in supporting or enabling the abuse of a victim (known as proxy abuse).It is common for abusers to engage in victim playing.
 他人(通常は被害者)の悪い行動に基づき正当化されたと主張することで、虐待行為から注意をそらす。被害者の虐待を支援または可能にするため、他人に同情を求め、虐待的な力を制御する (「代理虐待:proxy abuse」とも)。Playing Victimを行う光景は、虐待者に頻繁に見られます。

Wikipedia(EN) "Victim Playing"

 play the victimとは、「(加害者が)被害者ぶること」です。上記は人の心理において、なぜ「(加害者が)被害者ぶる」といった状況が起きるのかを詳しく説明しています。
 ただし、この歌詞においてDeathは観念的な言葉であり、具体的な人や感情を示していません。強いて言うならば、youの死因が他殺や事故によるものであれば、死の原因は人間であり、その人間が「お前が死にかけているのは、お前が悪い」とyouを責め立てている……という可能性もありますが、そこまでの言及は他の歌詞にないため、想像の範疇となります。

 1つ言えるのは、Death played victim through hide and seek→You felt its cold touch when you were weakの歌詞から、youは「死が"お前が悪い"と責め立てる」という状況に対して、「弱っている」ということ。すなわちyouは「死の原因が自分にあることを否定できない。自業自得であると認めざるを得ない部分がある。真に受けている」ということです。
 Deathの正体が何者かは分かりませんが、youはDeath=死というイベントが見え隠れする状況の前で、死というイベントに「自らの瑕疵」を投影しており、おそらくyou自身の通常のパフォーマンスや力強さは発揮できなくなっています。

 推測が膨らむ一方ですが、ひょっとすると、歌い手がyouに対して強い未練や諦めきれない想いを抱いているのは、youが死を目前にして、youが持つ瑞々しさや長所、特徴を、悉く奪われていったからではないでしょうか。生前、通常のyouの振る舞いが歌い手の前で上映され続けたならば、歌い手はyouとの死別後、これほどまでの無力感と受け入れられなさに苛まれることはなかったのではないでしょうか。
 死は、死という瞬間を以てyouを永遠に会えない存在にしただけではなく、生きている間さえも死の影をちらつかせて、死の影をyouが知覚するたび、youが持つ様々な彩りを奪っていった。そして歌い手は、死が奪ったyouの彩りの全てを取り戻そうと躍起になっている……。

 筆者の私個人として、自身に余命や死の可能性が告げられたとして、どれほど毅然と、いつも通り振舞っていられるか自信はありません。しかし事実として、死とは生命活動が停止した瞬間のみに非ず、死を自覚した瞬間から永久に奪われてしまう彩りが確かにあり、その量は、死に直面する当人がどれほど粛々と死を受け入れられるかによって変わるのかもしれない。そして、死を自覚して奪われた彩りが多ければ多いほど、周囲の遺された人には深い悲しみが残ってしまうのかもしれない……
 と思えて、他人事には思えない描写だと感じました。



-余談-

 当noteにおいて、"Dream or Reality"および当記事"Dreamstate"にて、夢が現実に対して逃避の先になりえるということ、その甘美さは現実に二度と戻りたくないと強く願えるほど強烈なものであることを述べました。この2記事だけを参照すれば、夢とは甘美で恐ろしい罠である、という捉え方もできますが、私は夢とは一概に恐ろしいものと捉えられるものではなく、「逃避」の他にも、現実に対する「励まし」「感慨」を与えるものであり、その内容は現実の自分のコンディションによって様々に変化する「捉え方」に過ぎないのだと考えています。

 20世紀から提唱されるユング心理学(分析心理学:Analytical Psychology)における『夢』とは、人間が通常認知している「意識」の領域の外にある「無意識」が投影される先の一つであると考えられています。同心理学では『夢分析』という言葉もあり、患者が睡眠中に見た夢の内容から、その患者自身を形作る無意識の姿をなるべく明らかにし、強烈な思い込みや反応の理由を解き解して、それを融和していく治療法があります。
 ユング心理学の考えに基づくならば、夢とは自身の無意識に気付く「きっかけ」です。それは一概に患者に対して「善きもの」とも「悪しきもの」とも判別することができません。ただ、無意識の領域に「そうだと想起してしまうだけの何かがある」という「現実」に過ぎないのです。
 それを見た本人が、悪夢であるか善き夢であるか、判別しているのですが、実態としては1つの体験であり、それは複数の側面を持ち、その一部を鑑賞者が拾い上げているのです。

 わたしにとって衝撃を与えた出来事として、自分が見た1つの夢に対する自分の感性が、その当時と2週間後のある日において、「善き夢」と「悪夢」に反転していることがありました。
 その夢は自分が見知らぬ土地に旅をして、トラブルに遭いながらも現地の人々と交流する夢でした。初めて出会う人もいれば、奇跡的なほどの偶然に居合わせた知り合いもいます。
 夢を見た当時はその出会いの一つ一つに喜びと胸の高鳴りを覚え、「自分は、複数の土地や場所、舞台に旅をすることで、こんなにも人間と繋がれるということを認識する。それ自体が嬉しいのだ」と、至上命題めいた気付きに満ちていました。しかしながら、現実においてうまくいかないことや自分の活動に対しての猜疑心などが膨らんだとき、その夢の内容を思い出すと、当時は気にも留めなかった「トラブル」ばかりが想起され、「どこかを求めて旅をしても、自分から生まれるものは何も変わらない。旅を通じて得られるものよりも、自分の持ち物を失って嘆くことの方が多い。結局、行動を起こしても自分は無力である」といった、閉塞的な諦めに満ちたものしか得られませんでした同じ内容の夢から得られるものが、「励まし」から「絶望や、逃避への渇望」に変わったのです。

 夢を見る~夢を思い出す までの2週間において、私は現実にて気分の降下を経験していました。上手くいかないことが増え、時間はあれど生み出せない期間が増え、夢を見た当時には溢れていた自信が、間違った考えであるかのように思えて、目先が見えない状態だったのです。
 最初の時は「夢から発見を得た、夢から励ましを得た」と考えていましたが、その間に起きた現実の影響によって「夢から発見を得た、夢へと逃避したい気持ちを得た」。
 こう考えると、夢がわたしに影響を与えたのではなく、夢はきっかけに過ぎず、夢が訪れるまでの現実が、夢の捉え方に影響を及ぼしたのだ
、と思えてなりません。

 本記事Dreamstateの和訳説明でも述べましたが、歌い手はyouとの別離の際、じわじわとyouの瑞々しさが失われていき、youの生前の溌剌さは、死の瞬間が訪れるよりも前に取り戻せないものになっていたように読み取れます。その現実に直面した後、youがかつての彩りを得て生きている夢を見る、といった時系列だと解釈できます。
 仮にですが、死の直前を迎えるまで、youが自身の彩りを強く保ち、歌い手へと最期の瞬間までその姿を焼き付けていたのであれば、歌い手にとって夢のyouへの渇望は、これほどまでに強く甘美なものにはならなかったのではないでしょうか。たとえその夢を見たとしても、それこそ「天国でまた会えるまで、今はこの夢で強く生きよう」と思えるだけの「励まし」を得ていたかもしれません。
 ここから分かるのは、悪夢/善き夢といった判断や、夢が恐ろしいものか素晴らしいものかといった感想は、現実の自分の状態や無意識の有り様によって、いくらでも変化するものであり、夢が始まりなのではなく現実が始まりなのだと考えられるということです。夢は突然飛来する災害ではない。夢から与えられる影響は、来るべくして降りかかっている。


 私はDream or Realityの記事において、「これから先、どれほど残酷な現実が降りかかったとしても、その事象に対して抱いた感情/感想/現実を、整理して記録として創作に昇華できたのならば、夢の胡乱に誘惑されることはもうないだろう」といった趣旨の発言をしています。

もし誰か何か、大切な何かが滅んだり、死んでしまったり、もう二度と会えなくなってしまったら、それを忘れないだけでなく、偲び続けるだけでなく、こうやって文章なり絵なりに落とし込んで、こういう奴がいたということを書き続けるのだと思う。たまには人目につくところじゃなくて自分だけが見えるところにしまったりもするけれど、人に見せることよりも、自分の中で誰か何かと関わった記録を残してその時のことを昇華しておくことが、自分が一番納得する方法だということが、今までやってきたことから導き出せる。要するに色々調べて考えてそれを自分が忘れたとしてももう一度見える形で残しておくことは過程と結果とその後においてすべて観測する価値がありこの上なく面白いものだと感じる。だから自分は、大切な誰か何かが亡くなったとしても、それを終わりではなく、そこから始まる整理にある程度夢中になって、そこから新しい価値を生み出すことができると信じている。

 きっとこう思っている以上、もう一度夢の胡乱に微睡むことはないと思うけれど、もしなんか迷ってたり言い淀んでいるような素振りを見せたら、思考の過程なのだと思って話を聞いていただければ嬉しいです。

 しかしながら、この記事を書いた2020年11月から半年後より、1年半にも及ぶ活動休止に陥っていました創作に関する全てへの挫折、と形容するには大袈裟ですがそのような出来事を経験していました。
 2022年8月から9月末に至る現在においても、その全ての期間において筆を止めずにいれたわけではありません。単に予定を入れたり入れられたり、ではなく、創作のためと充てた時間について、「考える」というよりも「悩む」が原因で筆が進まず、終いにはDream or Realityの記事に書いた経験のような「睡眠時間の長期化」「夢からの離脱の困難さ」の影が見えるようなことがありました
 これは私自身にとっては深刻な問題で、あれほどまでに「何が起きても創作に打ち込む」と息巻いていたものが、なぜ容易く長期間も見失ってしまったのか、それを取り戻すにも長い時間を要したのか、それをある程度理解しておかなければ、また同じ状況に陥ると考えてしまうのです。現実の経済面や時間については、少なくとも周囲で見かける人の多くよりも余裕がある状態であると自覚しているため、そこから先の問題として考えるべきです。

 ここからはより強烈に、本当に、「私にとっての話」へと収斂してしまうのですが。

 Dream or Realityなど、自身の記事や創作物において、これは読んでいて思い出せるものや感慨を得られるものが確かにある、と心から思えるものがいくつかあります。それらの特徴として、何か当時に直面していた事柄に関して、善い面も、悪い面も、なるべく考慮した上で、その時に出せる結論を導いていることが挙げられます。然るにそれらの記事や創作は時間や内容が長大化して(多面的な解釈をなるべく多く取り入れて説明をすると、その作品は長大化する)、非常に読みづらい・手に取りづらいものにはなりますが、しかしこれは私にとって非常に重要な軌跡です。その内容のすべてを肯定できず、醜い部分が含まれていたとしても、作品そのものを手放す気にはなれないのが、これらの特徴を持つ作品です。さらに重要な点として、これらの作品を読み返すと、また描きたい、まだ何かを書きたい、といった気持ちが幾らか湧いてきます
 反対に、結論を急いでいたり、一義的な肯定/否定に落ち着いている作品は、私にとっては首を傾げたり、素通りしたくなる気持ちになります
 ここから考えられることは、わたしにとって創作の目的である「事象に対して抱いた感情/感想/現実を、整理して記録として創作に昇華する」こと、これが達成できている創作物こそが、私に長い期間の感慨を、次の創作への糧を与えるということです。すなわち私にとって、「事象に対して抱いた感情/感想/現実を、整理して記録として創作に昇華する」ような創作物を生産し続けることこそが、創作の歯車を止めず、『夢』を例とする事象について「悪夢的側面だけではない多数の視野を以て判断を下し表現できる」状態になります。
 事象を観測する→フラットに捉える→創作に反映する→創作を見返す→創作の活力を得る→事象を観測する→…… このループを構築できれば、多くの現実/夢における事象について、「そうきたか」と軸を崩さずにいられるのではないか、と考えています。

 私が事象を偏った絶望のみで捉えない強靭さを得るためには、創作にてこの複数的視座を活かし、そこで生まれたものから感慨を得ていく、という、連鎖的な積み上げが必要なように思えます。これによって、本楽曲のような状況に追い込まれたとしても、その事象の善い/悪い面を総合的に評価して、斃れずにいるどころか創作へ繋げることが可能……かもしれません。


 人間なので、いつまでも永久機関を続けることができるわけはありません。予期せぬ外因、過剰な負荷、想像を超える快楽などによって、また見失う可能性はあると思います。ここで書いた考えが、自分にとっても違うものだと気付く日が来るかもしれません。
 それでも、1%でも筆を折る可能性を減らせるのであれば、これからもこのような考えを深めて、現実をありのままに見つめ続けて、夢に斃れないよう手段を尽くしたいと思います。