初めて母の涙を見た日のこと
「あぁ、もうこの子がわたしの近くにいることはもうないんだなぁ、と思ったの」
わたしの結婚式で、母が親友にこっそり言ったらしい。
ドライで、現実主義で、弱音を吐くのが嫌いな母からそんな言葉が出るなんて、びっくりした。
そこからさかのぼること2年前、わたしは30歳を機に一人でアメリカへ旅立った。ビザが切れる一年半後に帰ってくると約束して。
「なんで仕事をやめてまで海外へ行こうと思ったの?」
もう何百回も聞かれた質問。そのたびに、もっともらしい理由を並べていたけれど、答えはいつも少しずつニュアンスが違っていた。
英語を、言葉を学びたいと思った。それ以外の理由は、自分でもよくわからないのだ。
家族は、ほんの少し事情はあれど平凡そのものだったし、仕事は天職だと感じられるものに就いていたし、人並みに恋愛もしていた(さっぱりうまくいかなかったけれど)。
でも、なぜか30歳を目前に控えたわたしは。
見慣れた地元の風景。昔からの友達との会話。好きな人と川辺を歩いた思い出。
とりあえず一旦リセットしたかった。自分のことを誰も知らない場所へ行きたかった。でも、それは「なんでアメリカにきたの?」という世間話のような質問に対する回答としては重すぎる気がした。
こんな調子だったから、一番わたしのアメリカ行きに関して理解が追いついてなかったのは両親だったと思う。当時ひとり暮らしはしていたものの、すぐに帰れる距離だったし、少なくとも一ヶ月に一回は会うぐらいの物理的近さだった。
反対はされなかった。でも渋ってはいた。「よくわからない。わたしたちが何言っても結局行くんでしょ?」みたいな、半ば諦めの感じ。そりゃそうだ。
旅立った頃のことはあんまり覚えていない。ただ一つの場面をのぞいて。
見送りの空港で、母が泣いていた。わたしの前では気丈に振舞い、笑ってバイバイまでしたのに。振り向いたら涙を拭っているのが遠くに見えた。
罪悪感とともに気付いたことは、母もひとりの人間なんだということだ。
お母さんは、誰しもにとってそうであるように、生まれたときから「お母さん」という人種だった。
もちろん父だって同じ。
もう何十年もの間、関係性は変わらなかった。ある意味、幸せなことだと思う。
両親に向けた感謝の言葉と文句の言葉を割合的に考えるなら、よく見積もって2対8ぐらいの割合じゃないだろうか。
両親だって完璧な人間なんかじゃなくて、迷いながら悩みながら生きていたはずなのに、悪態をついてばかりだったような気がする。
わたしの前では泣かずに見送ってくれた母のことを、いじらしく思った。遠くで涙を拭っていたあの光景を、わたしは一生忘れない。
親孝行したいとき親はいない、という。これからは、甘える側だけじゃなくて、甘えさせる側でもありたい。いつか永遠のお別れがくるまでに、感謝の言葉を言い続けて、ようやく五分五分ぐらいになるはずだから。
素直にそれができたら苦労はしないのだけれど。