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彼女と私の「はたらく」人生


「仕事より育児のほうがぜーったい大変だよね!」

ある友人がウーロン茶を片手に大きな声を挙げた。彼女は専業主婦として二人の子どもを育てている。
ウンウンと頷く他の友人を横目にしながら、私は幼少の頃に見た、リーダー格の女の子が人差し指を天に突き刺す「この指止まれ」の光景を重ねていた。

大学時代のバイト仲間とは1〜2年に一度だけ集まる。10代の頃に出会い、時は流れて三十路目前。似たような生活をしていたはずの私たちはそれぞれの道を歩んでいる。

……だめだ。何も言うな。聞き流せ。だって私は独身だし、この発言に物思うポジションから一番遠いところにいる。
反論するなら、そう、子どもがいる男子チームが適任。他にたくさんいるじゃない。私じゃない。わかっている。わかっているのに。

「なんでそう言い切れるの?比べようがないでしょ?」


あーーー言っちゃったよ、と瞬時に後悔する。私のばか、ガマンしろ。極めて温和な口調で言ったつもりなのに、案の定まわりにはピリッとした空気が流れた。私の性格を熟知している友人たちは若干ほくそ笑んでいるように見える。黙っておけばいいものを、と。

20代の私は、たびたび専業主婦志望の友人と衝突した。そう書くと大袈裟だが、端的に言って寄り添えなかった。何故そんな素直に「夫」という存在を信じられるかが、本当に分からなかったのだ。
率直に言うと「その頼りにしている人、死ぬかもしれないじゃん」と思っていた。私の父のように。


うんと幼い記憶の中に、白いブラウスとタイトスカートに身を包む母の姿がある。
保育園までママチャリで迎えに来てくれるおばあちゃん、夕飯時に日本酒をひっかけて上機嫌なおじいちゃん、ゲームばっかりして怒られるお兄ちゃん。ひとつ屋根の下にいた。狭い狭い団地の居間。

母は働きに出ていた。
細かい事情なんてわかっていなかったが、うちにはお父さんと呼ばれる人はいなくて、母が家主である事実だけは理解していた。

やがて大人たちが話す会話の断片や時々訪れる場所から、父は亡くなったのだと気付いた。

働く母の姿。それは私の価値観に大きく影響を及ぼした。5歳のときに養父と再婚したが、あまり裕福ではなかった。
高校は公立、大学は地元、様々な制限がついた。今となっては充分すぎると頭を下げるのだけど、当時は「うちにもっとお金があったら」と思っていた。
母も同じ考えだったのだろう。弟が生まれてしばらくは家にいたものの、すぐにフルタイムのパートで働き始めた。

私が大学一年生のとき、養父は失業した。
大学を辞めなければならない話が出たが、どうにかやりくりしてくれて回避できた。この出来事からも、私は女性が働く必要性をさらに痛感した。

独身時代の私は、専業主婦の友人が繰り広げる「仕事より育児が大変」理論がとても苦手だった。育児と仕事を両立している母のほうがすごいと思っていたから。



自分の言葉がブーメランとなり返ってくると知ったのは第一子を産んだ後だ。
次々と起こる初めての試練に対応するのが精一杯で余裕など一ミリもなかった。今までの人生経験がちっとも使えない。しかも私は最後の独身時代をアメリカで過ごし、現地で出会った日本人と結婚したため海外で子育てをスタートさせていた。何が起こったとしても夫婦ふたりでかつ英語で対応しなければならない緊張感がさらに心身を疲弊させた。
でも言えない、育児が大変なんて言えない。

仕事に戻ったのは産後11ヶ月のとき。アメリカに住んでいるが、日本の育休一年をイメージした。私は「働くお母さん」になるの。半ば意地だったようにも思う。
これまで母に対して一度たりとも「家族のために働くあなたの姿を追いかけている」と気持ちを伝えていなかったので、復帰した暁にはこの機会に言ってみようかなと思い立った。きっと照れ臭そうにしながら喜んでもらえるに違いない。

ところが、電話で話をしたときの母の反応は想像の真逆だった。
まったくと言っていいほど喜んでくれなかった。終始「まだ一歳にもならないのに保育園に預けちゃうの?もっと一緒にいればいいのに」と言うばかりで、私はたまらず早々に電話を切った。

予想していたのと全然違っていた。気持ちが空回りし、ひどく落胆した。あんなに背中を追い続けていた「働くお母さん」。娘が同じような道を選択して誇らしくはないのか。悲しみに浸りつつしばらく考えていて、ハッとした。

そうか。母には働く選択肢「しか」なかったのだ。


実父、つまり母にとっての夫が亡くなったのは、私がお腹にいた妊娠後期だったという。病死だった。母が妊娠した後すぐに病気が発覚して、その時点で手遅れだったらしい。
ある日突然、夫を失った。これから二人目も生まれてくるのに。当時の母の絶望は計り知れない。

ところが、私はどうだ。働くと決めたのは自分のため。理想を実現するため。建前上は、長い目で見ると働いたほうが家族のためだと、もっともらしい理由を並べたけど、母とはまるで覚悟が違う。

この母とのやり取りでもう一つ気付いたことがある。
冒頭の友人もずっと母子家庭だった。お母様は女手一つで彼女と弟を育てたと聞いた。
もしかしたら彼女は、幼少期にお母さんが家にいなくて寂しかった分、自分はなるべく家にいようと思ったのかもしれない。

一つの経験を通して生まれる価値観は人それぞれだ。自分のおうちが母子家庭だったからこそ、私のように働きたい人もいれば、彼女のように家にいたい人も当然いる。

30年以上生きて、10年以上働いて、ようやく、ようやく気付いた。あぁ、なんて私は愚かだったのか。自らの考えが正しいと信じて疑わず、他人の事情や主張を慮ろうともしなかった。

さらに私はワーキングマザーとしても劣等生だった。第一子も第二子も、妊娠中の経過が安定せず、上司や同僚に迷惑をかけまくった挙句、会社を辞めてしまった。
長男を預けて働いていたときも、彼が熱を出せば迎えに行ったり休みを取ったりするのはいつも私で、不満は積み重なっていった。部屋は荒れ放題で、料理は適当で、いつもテンパッていたから夫ともギスギスした。

これまでの信念や価値観が次々と崩れていった。
私にとって働くとは何だったのだろう。母みたいになりたい気持ちは一人よがりだし、威勢だけは良いくせに実働が伴わないし。働く意義も自信も失った。悔しかった。恥ずかしかった。申し訳なかった。



第二子を産んで以降、私は専業主婦となった。家事や子育てを中心にすると決めた。まずはこの生活と向き合ってから「はたらき方」をもう一度考えようと思ったのだ。
母がどうだから、友人がどうだから、ぜんぶ関係ない。いったん真っ白になって。私自身の、仕事を、人生を。

育児は、よくブラック企業に例えられる。やること山積みだし、眠れないし、理不尽だし、達成感も得にくい。はい、その通りです。ただし毎日がとても尊い。大変だし、貴重だし、やっぱり大変だ。

2年近くが過ぎた。ワーママとして働くのも、家事や育児に専念するのも、どちらも経験した上で、結果的に湧き上がった気持ちは「やっぱり働きたい」だった。

どうして?と訊かれる。
正直なところよく分からない。ただ、私は働いているほうが自分を好きになれるみたいだ。もちろん育児もちゃんとやりたい。我ながら欲張りだなぁと思う。でも、何かを諦めている自分より、何とかしようと足掻いている自分のほうが好きなのだった。

二度目のワーキングママとしてのチャレンジは在宅フリーランスを選んだ。ずっと会社員志望だった私。安定しないこのスタイルは長らく選択肢から外していた。
仕事をがんばりたい、働く夫を支えたい、子どもたちを守りたい、いろいろな想いを実現しようとしたら、これが一番だと考えた。
まだまだ思い描いたような「はたらき方」にはたどり着いていないけど、少しずつ前に進んでいる。

奇しくも、フリーランスとして仕事をいただき、さぁやるぞと決意した同じ月に、夫が日本出張中に実家で倒れた。運び込まれたのは集中治療室だった。
義母から電話で知らせを受けたとき、身体中に緊張が走ると同時に、どこか前から覚悟していた自分に気づいた。幸い命に別状はなかったが、改めて働くことへの熱意が点るような出来事だった。



はたらき方や人生の多様化が叫ばれて久しい。社会構造や企業制度、これからも見直していくべきところは山ほどある。しかし語弊を恐れず言うのであれば、まず最初の障壁となるのは、自分自身の考え方や身近な人との関わりだったりしないだろうか。

よりによって家族や近しい友人たちに、狭くて歪んだ考えを押し付けてきた。私はそれをひどく後悔している。もう二度と同じ過ちは繰り返したくない。

たくさんの制約がある。たくさんの選択肢がある。その中で、自分が選んだ道に誇りを持って生きていく。


一年前、日本に帰省して冒頭の友人と会ったときにある相談を受けた。
「子どもたちが幼稚園や小学校に進学して、いよいよ働かなきゃなって考え始めたの。まずは何から始めたらいいと思う?」と。
いざ働こうとする局面で彼女から頼ってもらえるのが嬉しかった。彼女の「はたらく」人生はここからまた始まるのかもしれない。
逆に私は、子育てで悩んだとき、育児の先輩である彼女を大いに頼っている。

自分にとっての働く意義をいま一度考える。
新しく踏み出した在宅フリーランスという生き方。小さな部屋で、パソコンを相棒に、孤独な作業を行う。私の範囲で言えば、この日々は極めて地味だ。これでいいのかな、と思う日もある。

迷っても彷徨っても、ただ淡々と積み重ねていこう。そうやって手にするものが、きっと未来の私や家族や大切な誰かの笑顔につながると信じて。

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Mica
最後まで読んでいただいてありがとうございます。これからも仲良くしてもらえると嬉しいです。