夏の終わりと柴犬の女心
夏の間、毎日一緒に過ごしていた夫がまたパリへ行ってしまった。仕事だから仕方がない。私は全く平気、ってゆーか、ちょっと肩の荷が下りた感があるくらいなのだが、ウチの犬は私と違って複雑な思いを隠せない様子だ。
パリへ行ってしまったと言ってもまた2~3週間したら戻ってくる。そしてその後またパリへ、と、行き来をする生活なのだから、寂しいと思う前に夫は帰って来る。色々と用事があるので毎日何度も電話やビデオ通話をしているし、メッセージもバンバン送られてくる。
だが犬はスマホを使いこなせない。スピーカーから聞こえる夫の声を認識出来ないようだし、ビデオ通話の画面を見せても首をかしげる。気配も匂いもない相手には興味が湧かないのだ。
夫がいなくなってしばらくは玄関の扉を眺め続けていた。いつかあの扉を開けて戻ってくるのだと期待しているように。でも夫は現れない。何度夜を過ごして何度朝を迎えても、現れない。
いつの間にか諦めて玄関の方を見なくなっていたが、日がな一日をつまらなそうに過ごすようになった。散歩に出ても10分も歩かないうちに立ち止まり、家へ戻ろうとする。以前よりも立ち止まる回数が増え、遠くの方へ行くのを嫌がるようになった。
まあ残暑が厳しくて夏の疲れが溜まってるってのもあるけれど、それでもなんとか30分は歩いてもらわないと。
そう、急に立ち止まって動かなくなる、いわゆる拒否柴ってやつの発動回数が増えた。
無理矢理引っ張るのは嫌なので、犬が止まると飼い主も止まる。道端でボーっと立ち尽くす犬と飼い主。パリみたいな都会だったら完全に怪しい2人だが、南仏のこの街では大丈夫。多分。いや、怪しいと思われているかもしれない。うーむ。どうだろう。
でもまあ仕方がないじゃない。
犬が立ち止まってテコでも動かないんだから。そのままヨッコラショってお座りしてからぁ~のベタァ~って寝そべってしまうのだから。
ある日、狭くて人通りの多い道端で拒否柴が発動した。
オイオイ、こんなところで止まらないでよ。溜息をつきながら犬の方を見ると、恨めしそうな顔で見つめ返された。
何?なんか文句でもあんの?
そう聞くと、プイッとそっぽを向く。明らかにご機嫌斜めなお犬様。
そうやってしばらく立ち往生をしていると、「うわぁかわいい!柴ちゃんだぁ」と日本語が聞こえてきた。日本人のカップルが近づいてくる。
犬慣れしている人らしく、そっとしゃがんで犬と目線を合わせ、「かわいい」を連発。
観光ですか?と日本語で聞くと、新婚旅行なのだと説明してくれた。若いカップルだ。
新婚旅行、初々しくていいねぇ。なんつって思っていたら、リード先の犬の様子が急に変化した。
先にしゃがみ込んで「かわいい」と言っていたのは女性の方。それに続いて男性がかがみこんだ。
ハイッ、そこ!その瞬間です!そう、その瞬間に変わったのです!
クィンクィンと鼻声を出したかと思ったら、お尻をグイっと持ち上げて尋常じゃないほどの尻尾の横振り。グィングィン振ってお尻プリプリ。おまけに腰までグネグネと振っている。
クィンクィンがグフングフンに変わり、キュィンキュィンからのウォウウォウでキューンキューンってもうなにがなんやら興奮が収まらない。
しゃがみ込んだ男性に飛び掛かるほどの勢いで懐いている。
初めて会った見知らぬ人にこれだけのリアクションを取るなんて。。。
実は2~3週間ごとに夫が帰ってくる時もそうなのだ。グフングフン、キャインキャインと興奮が暫く収まらない。
夫はそんな犬のお出迎えにメロメロで、よぉしよぉし俺のことそんなに好きなのか!と嬉しさいっぱいで犬を抱きしめる。
それほど犬が好きではなかった夫のハートを鷲づかみにしたウチの犬。計算なのか本能なのか、人の心を虜にするテクニックがすごい!
そして今、私の目の前でそのテクニックを見知らぬ観光客の男性に駆使して仕掛けている。
男?男か?男なのか?男に媚びを売っているのか?そうなのか?
ウッヒョウッヒョと飛び掛かる寸前に無理矢理引っ張ってカップルとお別れした後、興奮冷めやらぬ様子でスタスタと歩く犬に問いかけてみた。
チラッと振り向きはしたが、またプイッと前を向いた。さっきまでグダグダと頭を垂れてやる気なさそうに歩いていたのに、今はと鼻頭をツンと空に向けてご機嫌だ。
心なしか口角が上がってニヤケているようにも見える。
ウチの犬は男が好きなのだ。誰でもいいって訳ではなさそうなのだが、多分男性特有の匂いか何かがグィーンと脳に刺さって本能を揺るがすのだろう。
柴犬ミアちゃん、今年で7歳になります。
人間だと熟女のお年頃です。