元ドイツ代表左SBが現役引退!マーヴィン・プラッテンハートとヘルタ・ベルリン FOKUSBundesliga!!! #28
前書き
現ドイツ代表のマクシミリアン・ミッテルシュテットやニコ・シュルツ、新星ルカ・ネッツは、ブンデスリーガでの実績を誇る左サイドバックだが、彼ら3人には共通点がある。それは全員が名門ヘルタ・ベルリンのユース出身者であるということだ。
しかし「ヘルタ・ベルリンの左サイドバック」と聞いて、彼ら3人の名前を思い浮かべる人はほとんどいないだろう。2010年代後半のヘルタ・ベルリンには、クラブの象徴とも呼べる左サイドバックがいたからだ。
マーヴィン・プラッテンハート。フリーキッカーを務められるほどの卓越した左足の持ち主であり、2018年にはワールドカップ出場を果たすなど、ヨアヒム・レーヴが率いたドイツ代表でもプレーした名選手だ。しかし2024年9月6日、当時、無所属だった彼は32歳で現役引退を決断した。本テキストではプラッテンハートのこれまでの経歴を振り返り、活躍を紹介する。
マーヴィン・プラッテンハート
Marvin Plattenhardt
生年月日:1992年1月26日
出身地:フィルダーシュタット, バーデン=ビュルテンベルク州
身長:181cm 利き足:左足
主なポジション:左サイドバック
ユースキャリア:
1999–20051. FCフリッケンハウゼン
2005–2006FVニュルティンゲン
2006–2008SSVロイトリンゲン
2008–20101.FCニュルンベルク
選手キャリア:
2010–20131.FCニュルンベルク II
2010–20141.FCニュルンベルク
2014–2023 ヘルタBSC
1. プラッテンハートのプレースタイル
プラッテンハート最大の武器は、精度の高い左足のキック。ブンデスリーガでは直接フリーキックから通算7ゴールを挙げるなど、リーグ屈指のキックの名手として知られた。
また卓越した足下の技術の持ち主であり、開いた位置から前線の味方に正確なボールを送ることを得意とした。守備面でも、味方選手と連携しながら堅実に貢献し、とくにヘルタ・ベルリンで堅守を支えた。
2. プラッテンハートのキャリア
2-1. ユースキャリア
ドイツのバーデン=ビュルテンベルク州エスリンゲン地区のフィルダーシュタット=プラッテンハルトという村出身のプラッテンハートは、同州のクラブでユースキャリアを歩み、2006年にはかつてブンデスリーガ2部にも所属したSSVロイトリンゲンのユースへ加入した。
プラッテンハートのキャリアの転機となったのは2008年、バイエルン州の名門1.FCニュルンベルクのユースへの加入だった。同ユースでの活躍から17歳以下のドイツ代表にも選出されたプラッテンハートは2009年、マリオ・ゲッツェやマルク=アンドレ・テア・シュテーゲンとともにU17の欧州選手権で優勝を果たした。
2-2. 1.FCニュルンベルクでのキャリア
ユースでの活躍ぶりもあり、2010年2月、プラッテンハートはレギオナルリーガ・ズートに所属するニュルンベルクⅡでの出場機会を得る。古巣のSSVロイトリンゲンやシュトゥットガルト・キッカーズなど、名門クラブとの対戦でもフル出場して勝利に貢献したプラッテンハートは、主力の負傷に伴い、同年10月のシャルケ戦でトップチームのベンチ入りを果たす。
プラッテンハートにブンデスリーガ1部でのデビューの機会が訪れたのは同年12月、ホームでボルシア・ドルトムントと対戦した試合での出来事だった。その試合を契機に、2010/11シーズンのブンデスリーガで9試合に出場するも、2011/12シーズンは9試合、2012/13は14試合と主力のハビエル・ピノーラの後塵を拝することになる。
迎えた2013/14シーズン、第3節のFCバイエルン・ミュンヘン戦でサイドハーフとして先発すると、シーズンを通じて31試合に出場し、第31節のレヴァークーゼン戦ではブンデスリーガでの2ゴール目を記録した。しかしニュルンベルクはシーズンを17位で終え、2部への降格が決定してしまう。
2-3. ヘルタBSCでの初期キャリア
プラッテンハートは2014年夏、ヘルタ・ベルリンへの移籍を決断。複数回の負傷による影響で、2014/15シーズンの前半をほとんど欠場するも、監督がジョス・ルフカイからパル・ダルダイに替わった第20節のマインツ05戦を転機に先発に定着し、リーグ戦で15試合に出場した。
翌2015/16シーズン、プラッテンハートは左SBの主力に定着する。リーグ戦では累積警告で欠場した1試合を除く、33試合にフル出場。とくに第16節のダルムシュタット戦、第19節のヴェルダー・ブレーメン戦では直接フリーキックを決める活躍ぶりで、クラブの7位躍進に貢献した。
2016/17シーズンも左SBの主力はプラッテンハートだった。負傷もありながら、27試合に出場して3ゴールを挙げ、シーズンを6位で終えたクラブの中心として活躍したのだ。そんなプラッテンハートは、当時ヨアヒム・レーヴが率いたドイツ代表から招集を受ける。そして2017年6月6日、アウェーのデンマーク戦でデビューを飾った。
2-4. ヘルタBSCでの中期キャリア
ヨナス・ヘクターの控えではあったものの、ドイツ代表にも選ばれたプラッテンハートはダルダイ率いるヘルタ・ベルリンで顔的存在となった。ペテル・ペカリークとのサイドバックコンビは安定感を見せ、2017/18シーズンは33試合に出場。
そして2018年夏、ロシアで開催されたワールドカップのドイツ代表メンバーに選ばれた。しかしドイツ代表はグループステージで敗退。プラッテンハートは、自身が同大会で唯一出場した初戦のメキシコ代表戦で敗北し、それが代表での最後の試合となった。
2018/19シーズン、プラッテンハートのキャリアに陰りが見え始める。シーズン前半、スタメンの座は掴んだものの、バイエルンやドルトムントとの大一番でマクシミリアン・ミッテルシュテットに先発を譲ってしまう。シーズン後半は負傷もあり、第21節から8試合連続で出場できず。第29節以降は先発に復帰し、第33節のアウクスブルク戦で同点弾となる得点を挙げた。
2-5. ヘルタBSCでの終盤のキャリア
2019/20シーズンのヘルタ・ベルリンは混乱を極めた。ラース・ヴィントホルストが新会長に就任したクラブは、2019年11月にダルダイの後任アンテ・チョビッチを更迭。ユルゲン・クリンスマン、アレクサンダー・ヌーリ暫定監督、ブルーノ・ラッバディアと指揮官が交代し、時期やコンディションだけでなく、監督毎で選手への評価が変容した。
プラッテンハートも出場機会を失いかけたが、ラッバディアから信頼を得て、2020/21シーズンは主力としてシーズンを迎えた。しかしシーズン後半に内転筋を負傷。プラッテンハートが欠場した11試合で1勝4分6敗に終わったヘルタは急激に下降線を辿った。
大型補強を行ったにも関わらず、2021/22シーズンのヘルタは絶不調だった。プラッテンハートも負傷を抱えながら、復帰したダルダイ率いるチームの主力を務めるも、チームの状態は上向かず。最終的に16位でシーズンを終えたヘルタはハンブルガーSVと入れ替え戦を争う形となる。
ホームオリンピアシュタディオンでの初戦はティム・ヴァルター率いる相手クラブに0-1の敗北を喫し、絶対の勝利が求められるアウェーでの試合でチームを救ったのは、プラッテンハートだった。4分、コーナーキックからデリック・ボヤタの得点をアシストすると、63分、ペナルティエリア脇の位置から直接フリーキックを決めてみせたのだ。
2-6. キャリアの最終盤
2022/23シーズン、プラッテンハートは新監督のサンドロ・シュヴァルツからキャプテンに任命された。リュカ・トゥザールやズアト・ゼルダル、ドディ・ルケバキオなど、欧州でも指折りのタレントを擁したものの、クラブは解決策を見出すことができなかった。
プラッテンハートは31試合に出場して貢献するも、クラブは最下位でシーズンを終えて2部へ降格。そして2023年夏、プラッテンハートはヘルタを退団した。
それから約1年後の2024年9月6日、プラッテンハートは現役引退を決断した。無所属だったプラッテンハートに対してイタリアやトルコなど、海外からオファーが届いたものの、家族の関係もあって移籍しなかったそうだ。ビルト紙のインタビューでは、「自分のキャリアを振りかえると、子どもの頃の夢が叶った」と語っている。
ブンデスリーガで活躍した名選手の引退に敬意を表し、本文の締めとする。
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