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TSG1899ホッフェンハイムの新たなリベロ!アントン・シュタッハ選手を紹介! FOKUS Bundesliga!!!#29

前書き

2015年10月、健康上の理由で退任したフーブ・ステーフェンスに代わり、わずか28歳でTSG1899ホッフェンハイムの監督に就任したユリアン・ナーゲルスマンは、クラブに多くの変化をもたらした。その1つが、ケヴィン・フォクトの「リベロ」起用だった。

中盤を主戦場とするフォクトをベンヤミン・ヒュブナーニクラス・ズーレの間に位置させ、最後方から前線へと配給する役割を担わせたのだ。フォクトを起点にデザインされたナーゲルスマン流のコンパクトな崩しのアイデアは、クラブに大きな成功をもたらした。

2016/17シーズン 第27節バイエルン戦の先発メンバー
結果は1-0でホームのホッフェンハイムが勝利。

フォクトの成功以来、長身のMFを2人のDFの間に立たせる3バックは、ホッフェンハイムのアイデンティティの1つとなる。例えば2020年にホッフェンハイムの監督に就任したセバスティアン・へーネスは、2人のDFの間にフローリアン・グリリチュを起用した。

2017年に退団したセバスティアン・ルディの後釜として獲得されたグリリチュは、足元の技術に優れたMFで、フォクトと同じ役割を担うことができた。へーネスの慧眼により活躍したグリリチュは、2022年に名門アヤックス・アムステルダムへの移籍を果たしている。

そしてペジェグリーノ・マタラッツォ監督のもと2シーズン目を迎えた今季のホッフェンハイムでリベロとしてプレーするのが、アントン・シュタッハだ。本テキストではシュタッハのプレースタイルやこれまでのキャリアを振り返りつつ、同選手を紹介する。




アントン・シュタッハ

Anton Levi Stach
生年月日:1998年11月15日
出身地:ブーフホルツ・イン・デア・ノルトハイデ,  ニーダーザクセン州
身長:194cm 利き足:右足
主なポジション:守備的ミッドフィールダー, リベロ

ユースキャリア:
不明 –2011 ブッフホルツァーFC
2011–2015 ヴェルダー・ブレーメン
2015–2016 JFVノルドウェストU19
2016–2017 VfLオスナブリュックU19

選手キャリア:
2017–2017 VfL オスナブリュック II
2017–2018 SSVジェデロー
2018–2020 VfLヴォルフスブルク II
2020–2021 グロイター・フュルト
2021–2023 FSVマインツ05
2023–    TSGホッフェンハイム

1.アントンのプレースタイル

身長194cm、体重86kgの巨軀を誇るアントンは、リーグでも傑出した守備能力を持つミッドフィールダー。とくに相手選手との1対1や高身長を活かした空中戦では、センターバック顔負けのプレーを見せる。インターセプトやドリブル対応などの駆け引きも巧く、大きな穴がない。

加えて本職が中盤のため、配給能力が高い。低い位置から前線や逆サイドに向けて、速く正確なパスを供給でき、相手のプレッシャーを受けながらフリーな味方に縦パスを出すこともできる。また足元の技術は決して繊細とはいえないものの、推進力を活かした持ち上がりも大きな武器だ。

機を見て前線へ進出し、得点を挙げることもできるため、彼が中央のポジションに居座るだけで試合展開を支配することができる。ボ・スヴェンソン指揮下のFSVマインツ05ではキーマン的存在であり、現在はリベロを務めている。


2. アントンのキャリア

2-1. ユース選手時代

ドイツでテニスの解説者として有名なマティアス・シュタッハの息子であるアントンは、ドイツ北西部のニーダーザクセン州に位置するブッフホルツ・イン・デア・ノルトハイデの出身。

幼少期、ブッフホルツァーFCに入団すると、ハンブルガーSVザンクト・パウリなどの強豪クラブから注目を集め、最終的には2011年ヴェルダー・ブレーメンのユースアカデミーへ加入した。

アントンはヴェルダー・ブレーメンでBユースまでプレーし、U16時代にはフローリアン・コーフェルトの指導を受けた。その後JFVノルトヴェストを経て2016年、VfLオスナブリュックのU19チームに入団する。


2-2. オスナブリュックU19時代

オスナブリュックU19へ移籍したアントンは、同クラブでブレイクを果たす。シュテフェン・ティッゲスフェリックス・アグーとチームメイトであったアントンは、中盤の中央やサイドのポジションに適応し、出場機会を得た。

とくにAジュニア・ブンデスリーガ北部/北西部での古巣ノルトヴェストとの試合では相手を圧倒。第11節の試合で2ゴールを挙げると、第24節の試合ではCFとして出場し、4ゴールを挙げる。

2017年、アントンはドイツで4部に相当するレギオナルリーガ・ノルトに所属したSSVジェデローへ移籍。移籍先でも23試合4得点を挙げる活躍を見せたアントンは、同リーグのライバルであるヴォルフスブルクⅡへ移籍する。


2-3. ヴォルフスブルクⅡ時代

優れた選手が集まる当時のヴォルフスブルクⅡでも、アントンは出場機会を得た。開幕11試合は負傷でリーグ戦を棒に振るも、第12節イェッデローⅡ戦で出場して以降、20試合に出場して4ゴールを挙げ、クラブのリーグ優勝に貢献した。

ジョシュア・ザークツィー擁するバイエルンⅡとの昇格争いに敗れたヴォルフスブルクⅡは、翌シーズン再びレギオナルリーガ・ノルトでプレーすることになる。

アントンは前季以上に安定した出場機会を獲得し、オマル・マルムシュ(現フランクフルト)やフリアン・ジャステヴァン(現ニュルンベルク)などのチームメイトとともに最終節を1位で迎えたが、リューベックに敗れて優勝を逃した。


2-4. グロイターフュルト時代

アントンのキャリアで最大の転機となったのは、当時2部に所属したグロイター・フュルトへの移籍だろう。2020/21シーズンのグロイター・フュルトは、ユース出身のダヴィド・ラウムジェイミー・リーヴェリングなどを擁し、シュテファン・ライトル監督のもとで素晴らしい時期を迎えた。

4部から2部への飛躍的な移籍にも関わらず、アントンはグロイター・フュルトで安定して出場した。第1節のオスナブリュック戦で途中交代から初出場を飾ると、シーズンを通じて30試合に出場。中盤中央の主力として活躍し、リーグ戦を2位で終えたクラブのブンデスリーガ昇格に貢献した。

飛躍のシーズンとなった2020/21シーズンの終了後、アントンは2つの大会に出場することになる。1つは21歳以下のユーロ。ニクラス・ドルシュアルネ・マイヤーの控えであったものの、5試合に出場し、チームの優勝に貢献した。もう1つの大会が東京オリンピック。残念ながらドイツ代表はグループステージ敗退したが、アントンは全試合に出場した。


2-5. FSVマインツ05時代

グロイター・フュルトの昇格に貢献したアントンは2021年、ドイツ1部のマインツへ移籍を果たした。第1節、第2節と退場に伴う処分で出場できなかったアントンの1部デビュー戦は、第3節のグロイター・フュルト戦となった。

ボ・スヴェンソン監督率いるマインツではレアンドロ・バレイロドミニク・コーアの中盤コンビやジャン=パウル・ボエティウスが主力だったが、彼らとポジションを争うにつれ、アントンは次第に定位置を掴んだ。

とくマインツでの2シーズン目を迎えた2022/23シーズン、ボエティウスの退団もあり、アントンは完全な主力となった。ドリブルの推進力を活かして攻撃面でも貢献し、RBライプツィヒ、バイエルンに勝利を挙げてシーズンを9位で終えたマインツで活躍した。


2-6. TSGホッフェンハイム時代

2022年3月には、ハンジ・フリック監督率いるドイツ代表に選出されるなど、知名度を飛躍的に上げたアントンが次の移籍先として選んだのはTSGホッフェンハイムだった。

フローリアン・グリリチュとポジションを分け合う形で中盤の主力となったアントンは、チームの面手に貢献。ドルトムントやバイエルンに勝利したホッフェンハイムで活躍した。


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