選択の積み重ね、心を経由して具現化される身体

近頃、鏡にうつる自分が何だか良い感じです。
顔かたちや容姿のことではなく、全体像というか纏うものということなのですが。

トラウマケアを開始したあたりから、完了する頃には更に真剣に、自分の選択と向き合っています。それは全て、日々の小さなことです。
何を食べるか。
どの色を着るか。
どの美容院のどの美容師に髪を切ってもらうか。
壁に何を飾るか。
何を読むか。
誰に連絡をとり、誰と会うのか。
どちらの道を通るか。
どの言葉で発話し、どの言葉を心にしまうか。

逆に言うと、それ以前は、自分の思い、ひいては自分自身を蔑ろにしていて、自分に罰を与える方を選んだりさえしていました。

常に自分の心が喜ぶことを続けていると、喜びの表情がデフォルトとなり、表情筋がそれに伴って発達し、真顔に幸福感が乗ってきました。

部屋中どの方向を向いても好きなものが目に入り、鏡を見ると今日の気分に添った色と形が見える、というのを続けていると、いよいよそれは加速してきました。

普通に考えれば、本当に自分の好きなものばかりを身につけて好きな環境に身を置いていたら、自分にとって良い感じになるというのは、しごく当然のことなのですが。
そんな単純なことを、以前は出来ませんでした。

自分の選択であれば、それが誰かにとっての不正解でも、清々しい気持ちでいられることを知りました。自分に誠実であるということ、自分でいることに覚悟があることは、少なからず自信に繋がっていて、徐々に足下が安定してきています。

何かになる、何かを作り出すというのは、きっと、その時だけのアクションで成し遂げられるものではなく、そういった無数の小さな選択の連続の中積み上げられた上で初めて可能になるのではと思います。

過去ハリボテとして長く過ごしてしまった私ですが、今はもう本物にしかなりたくなくて、こうして少しずつ愚直に繰り返しています。過去に願ったような近道やチートなんてないんだと認めたら、ようやく人生が始まりました。