(覚書)自他境界線、他者の受容、許しと優しさ

今日気付いたことは大切なことなので、記しておく。

人が怖かった時分は、共感する機能がブロックされていたんだと思う。
人が怖くなくなった今になって、気付くことがある。

今日、ある女性とずいぶん久しぶりに話した。
彼女を遠ざけてしまったのは、とてもフレンドリーな彼女に踏み込まれるのが怖かったのからだと思う。
その間も会えば挨拶はしたし、無視したわけではなかったけれど。
それ以前の親密な態度から一転したのは明らかで、少し寂しそうな彼女の顔を覚えている。
私はただ、いっぱいいっぱいだった。しばらくすると、彼女から色々話しかけてくることはなくなり、正直安堵していた。

今日は、私から話しかけてみた。彼女は以前と変わらず、明るい調子で会話を続けてくれた。帰り道が一緒になり、その間も話したり笑ったりした。しばらく談笑した後、彼女は、
「しばらくちょっと距離ができてしまっていたから、またこうしてmisakiさんと話せるようになって嬉しい。」と言った。
あの頃落ちてしまっていたこと、ごめんなさい、そしてそう言ってくれてありがとう、と伝えた。

別れて帰り道。嬉しいのと情けないのとで、心が重く感じた。あんなふうに笑って言ってくれる優しさに、自分の小ささを知った。
トラウマに翻弄されていた頃の私は、誰かを突き放したり責めたりすることで、自分を守ろうとしていた。その時の相手の気持ちなんて、まるで考えなかった。
(その人たちは、私を「変な人」カテゴリーに入れ、さっさと忘れてくれていれば良いと思うし、例えばまた会う日が来て訝しげに見られても、まあ理にかなっていると思う。)

もし誰か、仮に私と同じことをしてきた人がいたとして、それから改心してきたら、「そういうこともあるよね、いいよ。」と心から言うことができるだろうか、と考える。そんな時、相手の気持ちを軽くする言葉が言えたら良いな、と思う。今日の彼女のように。

おりしも昨日は、母親のことを考えていた。私から見た彼女は、向き合い方と愛し方を知らない人だった。はたから見て色々おかしなことはあったけれど、子育ても介護もペットの世話も投げ出さなかったことは本当に尊敬していて、私に到底できると思わない。彼女はきっと、その時々でできることを精一杯したんだろうと思う。私が愛して欲しかったやり方で愛してくれなかったという理由で彼女を恨んでいたけれど、もうそれは筋違いなのだとわかる。どうしてと聞く必要もない。甘い幻想も持っていない。過去に許さないと言っていたことは、もうピンとこない。ただ単純に、彼女の人となりをそういうものだと理解すれば良いのだと思う。消化できなかった子供の頃の思いのまま彼女を憎んできたけれど、時は経ち、自分の脚で歩いて行ける大人になれたのだ。なれたと言うより、もうとっくにそうだったのに、頑なに認めなかった。当時、本当の自分を置き去りにした空っぽの私にとっては、しがみついた執着だけが全てで、しがみついた手を離して本当の「無」へ落ちるのが怖かった。彼女への今の思いは、まず感謝。理由が責任感でも執着でも、欠かすことなくきちんとした食事を用意してくれたこと、暖かな寝床を用意してくれたこと、学費ならいつでも工面してくれたこと等。次には、私達は相容れなくて、相容れないまま存在すれば良いのだということ。残りの時間は、それぞれの場所でそれぞれの現在を生きていられれば良いのだと思う。

自他境界線ができて初めて、他者のあり方を受容するということができるようになったのだと思う。他者の特性がどういうものでも、その特性にあわせて適切な距離をその時々で見極められれば、それが私の中へ侵入し傷付けることはないと理解できるようになった。(恥ずかしながら、ようやくの親離れみたいです。)

メモ:
・優しさと思いやりは、他者のありのままを受容するところから始まる。(おそらく)
・他者のありのままの受容は、自己受容の後にやってきた。(自己否定の時代は、他者も否定していた)
・自他境界線ができてから、共感機能が解除された。
・人との関わりは、心の様子を羅針盤に、共感のフィルターを通せばだいたい大丈夫。(至ってシンプル)