国境の島(浅見光彦二次創作)
「浅見ちゃん、今回の記事もよかったよ〜」
「ありがとうございます」
光彦は少しだけ嫌な予感がした。藤田がこの様子だと次の取材は遠方になるかもしれない。
「で、次はさ…」
きた、少し身構える。
「福岡なのよ」
「福岡ですか」
少しほっとする。飛行機が苦手な光彦にとっては、どんなに遠方でも、道路さえ繋がっていれば愛車で行ける。それでもパンデミックでなかなか遠方に行くことも無くなったが。
「そ、でも福岡ってさあ。もう色々出尽くしちゃってるじゃない?うちとしてはさあ。やっぱり今までになかったような視点が欲しいのよ。そこで浅見ちゃんにお願いしたいのよ」
「新しい視点、ですか」
これはまた難題だ。『旅と歴史』読者に生半可な福岡の歴史なんて通用しないだろう。食べ物だって祭りだって詳しいガイドなんて山のように書店に並んでいる。
更には一昨年の改元である。
「令和」の典拠とされたのが万葉集の「梅花の宴」の序文。
その「梅花の宴」が行われたというのが大伴旅人宅。大伴旅人宅があったのが現在の坂本八幡宮あたり…という卒論のテーマが万葉集だった光彦にとっては親近感のわく土地である。
ただし、もうすでに坂本八幡宮に関しての雑誌などたくさん出ている。福岡県太宰府市にある坂本八幡宮、太宰府天満宮についてなど書こうものなら、藤田の望む「新しい視点」の記事など出来そうもない。
困ったぞ。光彦は思う。闇雲に福岡に向かったところで、ネタを掴めそうにもない。
「3月には九州新幹線も十周年だし、福岡だけじゃなくてもいいんだけど」
「ああ、もう十周年なんですね」
九州新幹線が開通したのは東日本大震災の翌日である。
東京にいる光彦たちは震災の混乱の中にいた。
九州で大々的に行われる予定だった開通イベントはすべて中止になり、宮城の松島基地を拠点としていたブルーインパルスはそのイベントに出るため、難を逃れた。開通CMがしばらくして、インターネットで話題になったことも光彦は覚えている。
「あっという間な気がするけど、もう十年なんだよねえ」
そういう藤田も、遠い九州の新幹線の開通よりも、あの混乱の景色を思い浮かべているに違いない。
「ああ、そうだ」
藤田がなにかを思いついたようだ。
「浅見ちゃん、永留に会ってきたら?」
−
「ナガドメです。よろしくお願いします」
普段はカメラマンも兼任するライターである光彦に、藤田が新人のカメラマンを練習に寄越した。聞き慣れぬ名字で、見慣れぬ文字の名刺を差し出したその男は、恵まれた体躯に、日焼けとは縁の無さそうな肌のエキゾチックな顔立ちをしている。
「ライターの浅見です。永留さんって珍しい名字ですね。ご出身はどちらですか?」
目の前の男の容姿から、日本海側の東北、もしくは北海道辺りの出身かと推測する。
「出身は、長崎の対馬です」
「えっ、対馬ですか」
思わぬ地名に、自分の推測も当てにならないことを痛感する。
「ご存知ですか」
「旅のルポライターとしては恥ずかしいのですが、本当に名前を知っているぐらいでまだ行ったことはないのです」
「なかなか取材する題材もないのでしょうから」
永留は少し笑った。
新幹線が西へと向かう途中、光彦は永留と初めて会った時の事を思い出していた。
永留は3年前、実家の父親が倒れたのを機に福岡に移住している。
「実家には帰らないのかって聞いたら、島には職がないからって」
伝手を頼って福岡でカメラマンとしてやっているという。
藤田が連絡先が変わっていない事を確認して、光彦の取材の事を永留に伝えてくれた。
−次の週の月曜日から数日なら空いています。
電話の向こうで永留の声が少し聞こえていた。
人見知りなのか口数は少ないが、仕事は真面目で、美しい写真を撮る男だった。
ともすれば、本人だって被写体としても充分な容姿をしていたが、どこか自信なさげな表情をしていた事を思い出す。
数回しか仕事をしていないが、嫌な感じのする男ではなかった。
今はどんな写真を撮っているのかな。
年明けの締切が重なって徹夜続きだった光彦は、そこで深い眠りに落ちた。
−
時を同じくして、対馬の海岸に遺体が打ち上がった。
見つけたのは地元の漁師である。
身元不明のその遺体は、当初は自殺と見られて処理された。しかし、別の海岸に打ち上がったその遺体のものとみられるバッグが、この事件の幕開けとなる。
−
「お久しぶりです。浅見さん」
改札を出てすぐの所で永留の姿を見つけた。マスクを着けてはいるが、目元のエキゾチックな感じは変わらない。永留もすぐに光彦に気づいたらしく、駆け寄ってくる。
「永留さん、お元気そうで」
「ええ。浅見さんもおかわりないですか」
「僕も相変わらずです」
「荷物持ちますよ」
「ああ、ありがとうございます。これは永留さんにお土産です」
「お気遣いいただいてありがとうございます。浅見さん、一度ホテルにチェックインされますか?」
駅近くにホテルをとっていた光彦は、永留の案内で先にホテルにチェックインをすませ、身軽になって博多の街へ出た。夕飯には少し早い時間のため、永留と2人、筑紫口から出たところにあるコーヒーショップへ入る。
「藤田編集長から連絡があって驚きました」
マスクを外してコーヒーを一口すすり、永留が口を開く。
「テーマは何か見つかりそうですか」
「それがなかなか。九州新幹線の10周年で鹿児島から博多までの紀行にするか、今、移住先として急成長している糸島市みたいな福岡市とは違う街の歴史にするか。どうもピンと来なくて」
光彦もコーヒーをすすった。
旅慣れているとはいえ、着いたばかりの街の居心地の悪さのようなソワソワした気分は、やはりすぐには収まらない。
「『旅と歴史』ですもんねえ。藤田編集長もなかなか難しい場所にしましたね。今回は」
「『令和』にちなんだものだと二番煎じどころか、何番煎じになることやら」
そこで一旦仕事の話題は離れて、お互いの近況報告になった。
永留は光彦と一緒で今現在も独身。博多と天神の間辺りのアパートで一人暮らし。福岡に移住するきっかけだった父親は、一時期福岡の病院に入院していたが、すっかり元気を取り戻し、地元である対馬に帰っていったらしい。
「帰って早く結婚しろ、とは言われるんですが」
「僕も結婚しろってよく言われますよ」
「東京の方は言われなさそうな気もしますけど」
永留は光彦が実家暮らしであることを知らなかった。そして兄家族と同居であることも。
「それは、たしかに…結婚しろって言われそうですね」
永留のなんとも言えない渋い表情に、光彦は笑いながら、雪江の顔を思い出す。
「ご実家には帰らないのですか?」
「こんな半端なカメラマンでは食っていけません。親父は役場勤めでしたが、僕はどうにかして島を出たくて仕方なかったですし」
「お父さんは公務員だったんですね」
立場は全然違うが、きっと永留も厳格な父親に育てられたのではないだろうか。光彦は父親代わりの兄、陽一郎を思い浮かべる。
「永留さん、ご兄弟は?」
「妹が1人います。こっちの大学を出て、島で働いています。父と入れ替わりで役場勤めです」
なるほど。光彦は少しこの男に親近感さえ湧いてきた。
永留の様子からきっと溌剌としたタイプの妹な気がする。
「それならお父さんも安心ですね」
「よく出来た妹だと思いますよ。不肖な兄と違って」
「そんなそんな。僕は永留さんの撮る写真、好きなんですよ。それで言ったら僕もです。よく出来た兄には頭が上がりません」
光彦よりも少々、永留の方が自己肯定感は低いようだ。光彦はふとなにかを閃く。
「そうだ。永留さん、対馬の話を聞かせてください」
「島の話ですか?」
「僕は対馬に行ったことないので…少しでも新しい視点のきっかけになればと思って」
「そうだなあ。あ、最近ゲームになって多少話題になりましたね」
「ゲームですか」
「そうです。『ゴーストオブツシマ』。元寇が元になったゲームなんですが、人気になったようで」
「元寇ですか」
「その前にやっぱり『アンゴルモア』という元寇の漫画もアニメ化されてますね」
「へえ。知らなかったな」
もしかしたら甥の雅人に聞けば少しはわかるかも知れない。
「今も昔も…元寇よりも遙か昔から国防の最前線に立たされている島です」
「そうか…防人の」
万葉集が繋がったな、光彦は思った。
「韓国から1番近いところで50キロも離れていないのに、魏志倭人伝でさえも対馬は倭国だと書いてある。古事記の国生みの際にも出てきます」
「歴史ある島なんですね。万葉集との繋がりもあるなら、福岡・対馬ルートの記事もありかな」
「令和で言えば、サンゾーロー祭りもありますよ」
「サンゾーロー??」
耳慣れない言葉を光彦は繰り返す。
「そうです。コロナの関係で今年の開催は見送られているのですが…浅見さん、大嘗祭で供えられる米の産地を占いで決めていたのはご存知ですか?」
「ニュースで見ました。たしか亀の甲羅を使うからどうなんだというようなことも…」
「それです。亀卜という亀の甲羅をつかった占いなんですが、対馬にはその占いが残っています。最近は亀の甲羅は使わないようですが。その亀卜で今年を占うという祭りがサンゾーロー祭りです」
光彦は手帳に、元寇、防人、万葉集、国生み、サンゾーロー…と、永留から出たキーワードを拾っていく。
「うーん、行ってみたくなるなあ」
光彦にとってはなかなか魅力的なワードも含まれる。サンゾーロー祭りなんか、母の雪江だって喜びそうな気もする。
「飛行機だとだいぶ早いですが…浅見さん、苦手でしたよね」
永留が微笑む。
「飛行機以外のルートはありますか」
「船ですね。フェリーか高速船です。もし本当に行かれるんだったら、島内の移動はレンタカーをおすすめします。予算とテーマが合えばですが」
「そうですね」
せっかくなにか掴めそうだが、今回のテーマは福岡なのである。
光彦は心底残念に思った。
その後もつらつらと、とりとめのない話をして、屋台で夕食を兼ねて酒を酌み交わし、ホテルに戻った。
−−−
翌朝の起床は、7時を過ぎた。
ホテルの朝食を軽めにすませ、身支度をする。カメラは本職の永留も持参してくれるはずだが、念の為、自分のカメラのチェックも念入りに。
9時をすぎて、浅見の携帯のメッセージ音が鳴る。
【あと15分ほどで、ロータリーに着きます】
永留はそう書いているが、きっと少し早目に着くだろう。
光彦は鞄に荷物をまとめ、ホテルを出た。
永留はどのあたりだろうか、駅前とは反対の出口とはいえ、交通量も多い。
浅見がキョロキョロしていると、黒い軽自動車が目の前で停まった。
「おはようございます。どうぞ乗ってください」窓を開けて永留が言った。
「おはようございます」
浅見も答えてサッと助手席へ身体を滑り込ませる。
今どきの、中の広く感じる軽自動車だ。愛車のソアラとは違う少し高い目線が新鮮だ。
「とりあえず何番煎じかはわかりませんが、坂本八幡宮、太宰府天満宮、竈門神社にでも行きましょうか」
永留は言った。
「そこにヒントがあるといいんですが…竈門神社は有名なんですか?」
永留は笑う。
「浅見さん、鬼滅ブームに乗れてないですね」
「鬼滅の刃は甥が観ていたんですが…調べます」
「見てみると結構ハマりますよ。よかったらコーヒーもどうぞ。コンビニのですが美味しいですよ」
「わざわざすみません。いただきます」
浅見はコーヒーをすすった。
−
永留とのドライブは思ったより短い時間だった。
太宰府天満宮は以前ほど観光客はいないという。ちょうどよい時期に来れたのか、見事な梅の花が咲きほこっていた。
万葉集で花といえば梅である。いつの間にか、花といえば桜に切り替わってしまったが、まだ寒いこの時期に色とりどりの梅が咲くのを、古代の人たちがどれだけ心待ちにしていたことか。
永留のシャッターの音でふと我にかえる。
「飛び梅、ですね」
「ええ、道真の飛び梅です」
この太宰府に左遷された道真公を追ってやってきたという飛び梅。都から遥か遠く、この地で何を見てきたのだろうか。
続く
2022/01/29
勢いで書き始めてしまった。完結するかもわからないし、トリックなんかも全然考えてない。誤字脱字もあるかもしれないし、私の知識が間違えてるかもしれない。とりあえず光彦さんを地元に連れて行きたかった。まだ行ってないけど。
2024/06/08
光彦さんを全然対馬に呼べない…!!
続く