出会える時代に描かれる出会えない物語―映画『君の名は。』評草稿―

 『秒速5センチメートル(以下『秒速』)』(2007)を観た時、こんなに会えない彼らもきっとそのうちFacebookで、友達かもにレコメンドされるんだろうなと思った。

 2016年に公開された『君の名は。』は、そのようなSNS時代だからこそ生まれるツッコミを、名前を忘れてしまうという設定によって回避している。
名前がわからなければ検索しようがないし、突拍子もない入れ替わりで出会っているから、レコメンドされようもない。

 新海誠、そこまで男女をすれ違わせたいのか、と思うと同時に、そこまでしないとアルゴリズムによる再会や出会いを回避できないんだなとも思う。

 男女の距離の描き方にも同じことが言える。『秒速』では、主人公と転校してしまった少女の関係が手紙を通して構築される描写を中心に物語が展開された。男女の物理的な距離を前提に、精神的な距離をコミュニケーションツールが埋める様が情緒的に描かれていた。
 しかしLINEやInstagram、Twitterが主なコミュニケーションツールとして使用されている現代では、あらゆるコミュニケーションが一瞬で可能になってしまう。物理的な距離も時間も一瞬にして縮まって、精神的な距離はあっという間にゼロ距離になる。

 LINEすればいいじゃん、というツッコミを免れるには、男女の間に時間差を作るしかないというのは確かにそうだと思うし、3年のタイムラグという設定は巧妙だ。出会えてしまう現代において、男女のすれ違いをリアルに描くためにはファンタジー的な設定が必要であるというアンビバレントさが、本作の魅力なのかもしれない。

 映画ではなく小説で恐縮だが、SNS時代の男女の再会を描いた作品として、『ボクたちはみんな大人になれなかった』(2017)がある。主人公のボクはある日Facebookでかつての恋人の名前を見つけ、誤って友達申請をしてしまう。彼女の名前は、ボクに過去の恋愛の記憶を一つ一つ思い起こさせてゆく。

 『秒速』で出会えなかった2人も、きっとFacebookでお互いの名前を見つけ、過去の記憶を手繰り寄せるだろう。容易に再会できてしまう時代だからこそ、再会した後のほろ苦さを描いた作品が求められているのかもしれない。

 


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