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“ライオンになれ”〜エルサルバドルから25歳へ送る言葉〜
2024年の暮れ、私は25歳の誕生日を迎えた。
その日の昼下がり、私は所用で中米・エルサルバドルの片田舎にある老舗ホテルの食堂にいた。友人たちと語り合っていると、ホテルのオーナーが私たちのテーブルに来た。彼とは共通の知り合いを通じて以前から付き合いがあり、たまに昔話を聞いたり(彼は70代)世間話をする仲だった。私の誕生日だと知ると、
“Feliz cumpleaños“
(お誕生日おめでとう。)
と祝福してくれた。
お礼を言いながら私は、私の倍以上も生きている人生の大先輩を前に、なんだか「25」という数字が妙に、急にリアルに迫ってくるのを感じた。人生100年時代と言われる昨今、「4分の1世紀(クオーターライフ)」とも言い換えられるのか…。(後で知ったが、「クォーターライフクライシス」なるものもあるらしい。)成人した時とはまた違った、焦燥感というか何とも言えない感覚に陥った。
このソワソワをどうにか一旦落ち着けたくて、私は彼にこんな質問を投げていた。“Tiene algún consejo a una persona de 25 años—un cuarto de siglo?“(25歳、クオーターライフの人に何か人生のアドバイスはありますか?)
どんな言葉が返って来るだろう。本は読んだほうがいいとか、いろんな世界を見なさいとか、人との縁を大事にしなさいとか、そんなのを想像していた。
だが彼の口から紡ぎ出されたのは、かなり予想の斜め上をいく言葉だった。
“Hay que ser león…”
(ライオンになりなさい。)
どういうことだろうか。強くなれということ?よく分からず眉をひそめる私に対し、彼は表情を一切変えずにこう続けた。
“… y comer la vida, ratón.”
(そしてネズミ(人生)を食ってかかるために。)
さらによく分からなくなってしまった。エルサルバドルでよく使われるメタファーだろうか?素直にどういうことかと尋ねてみる。
“時に人は、(年齢が上がってくると特に)目の前の途方もない人生(ライオン)に怖気付いて、終いには震えるネズミのように人生に食われてしまいそうになる。
だけど違うんだ。
どんな人生が目の前に立ちはだかっていようとも、君はライオンにならなければならい。そして、自分の人生を「食ってかかる」心意気でいるんだ。“
彼はジェスチャーを使いながら説明し終えると、最後に私の目を見据えてこう言った。
“No dejes que la vida te coma.“
(人生に食われるな。)
迫ってくる言葉の群れを一つも取り逃したくない衝動に駆られた私は、目の前にあったスマホのメモを開いていた。
捕えられた言葉を文字で見ると、少しだけ“ライオンになる”ことの意味がわかった気がした。
余裕が出てきたのか、私の頭には疑問が浮かんでいた。彼はどうやってこの「アドバイス」に辿り着いたのだろう?内戦を生き抜いた彼のことだ。いろんな経験に基づいているのだろう。すると案の定、
“Solo por mi experiencia de sobrevivir a la guerra (civil).”
(まさに、内戦を生き抜いてきた経験からだよ。)
と短く返ってきた。
人生の主導権は自分にあるはずなのに、自分のコントロールできる範囲を超えて本当にいろいろなことが起きる。私自身、パンデミックではかなりの影響を受けたが、内戦ではどんな計り知れない痛みややるせなさを感じできたのだろうかと、想像せずにはいられなかった。
そんな彼からの助言を胸に、残りの人生に向かっていきたいと思った。
ヘッダー画像はタンポポ(スペイン語で “Diente de León(ライオンの牙)”)の綿毛。