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最近飲み物全般について気付いたこと


やっぱり取っておきたくなってしまったんだ
途中から
途中というのも 結構序盤
コンビニで買ったそのHOTのペットボトルを握る手が
まだ人肌以上にじんじん温められるくらいか
もしくは車に戻ってそれを
ドリンクポケットに置いたくらいの段階で
そのつやつやなペットボトルを見ていたら
家から持ってきてたほぼ毎日飲んでいる味のお茶だけじゃ
きっと物足りないと思ってたのに
だから買ったのに

お風呂上がり 大して疲れているわけでもない一日の終わり
一杯コップにお茶を注いだあと
とりあえず冷蔵庫から冷えたビール缶を取り出す
座椅子付きのこたつ机にそれを置き
ちょっとした整理に洗濯物畳みをしたあとに
また再びあの現象が起き始める

お茶だけでもいけそうな気がしてくる
まぁお茶でも気持ちよく飲めそう、な気がしてくる
霧がかるようにうっすらと結露をまとったビール缶に座椅子に腰掛け再び向き合ったら
しまいには このまま開けずに明日飲む用にしてしまおう、
ということになる、この過程は
無駄なのか 無駄じゃないのか
結局、飲まなくてもいっかになる時間は
必要なのか 必要じゃないのか

つくづく変な時を過ごしている気になる
食べものだったらいつだってもっと確信を持てるのに
なんで、飲み物はどうして

そういえば、よく考えれば
買う前、手に取る前は飲むのを楽しみにしている
パスした飲み物を飲むときだってちょっといい気になっている
場合によっては二、三本の缶ビールに付き合ってもらう日もあったり
長時間のパソコン作業の地味な鬱憤は
そのときキッチンが持ちうる限りの飲み物の手札を使って晴らしたりもする
または
しんどかったのにお茶すらないとき 水飲んでたら
キッチンのカウンターに突っ伏しながら飲みたくなるような
悪酔いすらさせられる

無分別な私の要求に全面対峙する
飲み物よ、水分よ、君たちの役割には恐れ入る


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詩の形式で再び書いてみました。
取るに足らない日記ですが、よろしければこちらもお読みください。




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