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「ポースケ」津村記久子
買うだけ買ってまだ読めていなかったこの作品を、今こそはと思い読み切ったので、その感想。
なんかこういう体験は現実では難しいので読書体験として面白いと思う。
とある常連の集まるような食堂兼喫茶店があって、そこがどんなに興味深く思えたとしても、その店主や従業員や客がどのような人となりでどんな生活背景を持っているのかを詳細まで把握することはできない。できないというか、そもそも話なんて簡単に聞かせてくれないと思うし、それをもしやれるという前提で考えても、果たしてその一人一人を探求することは、とてつとなく骨が折れる作業だと思うから。なんていうか、自分が生きている以上、人の生活のことを聞くことって、聞く時間や労力以上に精神力が必要になるし、自分もその店に関わっていれば立場も気になるし、そんなに話を聞いてたら「もうお腹いっぱい」ってなるだろうし。
語り手のメインは女性たちで、例えば先行きが見通せない子を持つ女性(母親)、モラハラ元彼を持つ女性、シンママを持つ小学生の女の子、子を授からない女性、電車に乗れないパート労働者の女性、など。(順不同になってしまった)
話のベースはそれぞれの日々の生活に向き合った処世が書かれているけれども、中には、誰か、悪意があるのかもないのかすら責任を持たない人などによって、手をぎゅっと握るだけで簡単につぶされてしまうような、その人なりの切実で心許ない、本人は「しょうもない」とも思ってしまう、けれど確信的な所感が語られたりする。
読んだ後は、じゃあ自分はこの置かれた環境でどう頑張っていこうか、というような気にさせられた。それぞれの生き様を見せ付けられたな、という感じだった。
全部で九つの章に分かれていて、最初と最後を除いて一章ずつ違う人の話になっているから、短編みたいにやんわりと話が終わるが、それが最後の章で喫茶ハタナカにてそれまで登場した人たちが集い、全ての話がはっきりと一旦の結末を迎える。読んでいて知った人達が一堂に食事を共にするのを見届けるのは不思議と嬉しくなるし、自分自身のありふれたコミュニティでの出来事に通じるものを感じて感慨深く思えた。
人を知ることは生活を見つめることだし、生活はその人を取り巻く人々で出来ている。それがこの本で「書かれている」ことが、何よりも安心するし、書くことに何人か(何十人、何百人か?)が必死に携わってきているだろうということに、人の優しさを感じる。私の好きな津村さんの群像劇でお気に入りのウエスト・ウイングや、エブリシング・フロウズに、また一つ加わる作品になって嬉しい。