地獄も君は要らない(映画 ジョーカー2019 感想)
・大体の感想はもうなんか誰かがもう言ってるしバズってるので、私は誰にもわからない話をします。
・なんか…こういう、まず自分に興味を持ってもらおうとか、まず相手を受け入れようとか、そういう段階をすっ飛ばして、いきなり他人に長々と自分の話をして、なぜ誰にも聞いてもらえないんだと怒る人、いるよな…とか、そこに妙なリアリティを感じた。
家族だからとか、恋人だからとか、たかがそれだけの根拠で人が人を愛することは無い。
誰もあなたに興味なんて無いんだ。
本来はね。だから、誰かにこの人の話は自分自身の理解のために役立つんじゃないかと思ってもらえるように話したり、どう見てもうっとりする美しい容姿あるいは作品のなかに紛れ込ませたり、そもそも相手に興味を持つことで興味を持ってもらおうと努めたり。
そうやって、すばらしい料理を作ってそこに自分の血を混ぜるようなやり方で愛されようとしてきた。私は。ずっと。
ジョーカーが辿り着いたブレイクスルーも結果的にはそういう種類のものだ。
誰もお前を愛してはいない。お前が私の代弁者だから歓声を上げる。
なんてね。
いいんだよ。それでいい。それこそが「愛」なんだよ。
お前は私を見た、誰も顧みなかった私を。だから私もお前を見る。
それが愛ではないというのなら、何が愛だというんだ?
・ハンデはあるし、働けないし、学校は大嫌いだったし。テレビの出演依頼をウキウキと受けたら、理解しようともされずに歪められた"異常者"としてあざ笑われ続け、涙を飲んだこともある(※なかったことにしましたし、特定して何かしてほしいわけではないのでしないでください。忘れたい)。色々と他人事とは思えずまあ爆泣きしてしまったのだが…、ジョーカーのしたことには共感できない。
したことっていうか、初回は咄嗟の防衛だったことまで含めて恵まれないし、そんなこと言ってられるのは結局恵まれているからなんだけど。
・地獄では パンを踏むのは 善だから
きみの居場所は どこにもないよ
直康さんのこの短歌を思い出していた。確か稀風社『墓には言葉はなにひとつ刻まれていなかった』に掲載されていたと思う(引っ越し時に本をまとめて紛失してしまいました…)。
生きづらい人の集まりに行けども反社会的行為賛美や実在する殺人鬼に対するファントークに素でドン引きしてしまって馴染めなかったし、かといってバイトの面接に行けども落とされまくるし。
別に自分を不幸だとは全然思わないけど(価値を思えば妥当だと思います)。
世界を救うこともできなければ世界を滅ぼすこともできない私に居場所なんてどこにもないんだなあ。
とか思いました。
おしまい。
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