こんにちは。久しぶりの投稿になります。 時とは早いものであっという間に時間が過ぎていきます。やりたいことが多過ぎて逆に何もやれないもどかしさなんかもあったりして、noteで現実逃避中なのかなと、今は思っております。(笑) この前読んだ本に、やることリストは最低4つまでにすると書いてありました。目の前のことに集中することが最優先だと。 あとは、朝はモチベーションが高いそうですよ。 みなさんはどんな時間の計画や、使い方をしていますか。
こんにちは、今日はwrittenafterwardsのデザイナーである山縣良和氏の話を聞くことのできる機会があり、その時思ったことをここに残していきます。 第一印象は、あの山縣さん!と思いました。卒業制作がある雑誌で特集されていたものを読んだことがあり、裸の王様をファッションにしたファンタジー感のあるファッションショーでした。当時はこれファッションとして認められるんだと思ったものを思い出しました。 私はそんな山縣さんから自分のルーツの大切さやファッションが与える環境問題と
こんにちは。4月になりました。 私はこの4月からエスモードジャポンに入学することになりました。その経緯をここに綴っていきたいと思っています。 私の印象では、服飾専門学校は一般的には技術を磨くためのカリキュラムであると考えます。そのため、デザインを考える力よりも、スピード感を持った縫製に力を入れている印象です。 私がエスモードジャポンを選んだ理由は、独自のカリキュラムにより個々の世界観を大事にし、それに沿ったデザイン発想から縫製までをしっかりサポートしてくれることです
このnoteは私的なものです。
一週間、自分の勉強のためにnoteを更新してみて、どんな形であってもみて頂いたこと嬉しく思います(_ _ _) 今回は勉強のためではなく、縁を感じて頂けるかもしれないみなさんに、少し自分について書きたいと思います。 私は1年間専門学校に通い、自分の未熟さを沢山感じつつ、夢に向かって日々成長してきました。 ブランドを立ち上げたいと思えば今始められる、私は本当にいい時代に生まれたと思います。 だからこそ、私は最短で自分が描く将来像を目指していきます。折れずに前を向いて、進
色彩の連想1つの色から様々な連想をすることができます。これは、私たちの記憶と物や感情が結びつくことで起こる現象です。また人や物を連想すること「具体的な連想」、感情や感覚を連想すること「抽象的な連想」にわけることができます。 赤、黄、緑、青色などの原色は比較的に連想するものが多く、オレンジや紫などの中間的な色相は比較的に連想できるものが少ないです。 地域や文化によって連想するものに違いがみられます。例えば、日本では 太陽=赤 と連想しますが、海外では 太陽+黄となりま
トーンのイメージ明度と彩度を合わせた性質であるトーンのイメージは、様々な言葉で表現することができます。 ベリーペール(very pale) 弱い 軽い 薄い 淡白 清らかな 柔らかい さわやかな ライトグレイッシュ(light grayish)静かな 上品な おとなしい 繊細な 女性的な グレイッシュ(grayish)おとなしい 素朴な 地味な 枯れた ひなびた さみしい ダークグレー(dark grayish)落ち着いた 渋い 老いた 地味な 重い 凝った ベリー
色彩の感情効果色彩には感情を表す効果があります。もっとも代表的なものが「温度感」です。この温度感を暖色、寒色、中性色に分けて表します。 暖色(warm colour) 赤、オレンジ、黄色などの色相が暖色になります。暖かく感じたり、熱く感じさせ、体感温度を錯覚させて実際の温度よりも暖かく感じさせる効果を持っています。また、人の感情を昂ぶらせたり、緊張感を誘う効果もあるので、「興奮色」とも呼ばれます。 寒色(cool colour) 青緑、青、青紫色などの色相が寒色にな
1960年1960年代は若者が新たなスタイルを築いていく時代でした。ロンドンのストリートファッションであったミニスカートに注目したデザイナー、マリー・クワント:Mary Quant(1934-)はオートクチュールでミニスカートを広めました。また、より多くの人が手に入られるよう、既製服をつくる取り組みが増え、これらがプレタポルテ:prêt-a-porteです。 この時代のオートクチュール界では、イブ・サンローラン:Yves Saint-Laurent(1936-2008)がオ
1940-1950年世界で戦争が起こり、ファッションも動きがほとんどない中で1945年にヨーロッパ各地とアメリカで、パリ・オートクチュール協会が主催した展覧会「テアトル・ド・ラ・モード」が開催されました。この時代のオートクチュールでは多くの有名なデザイナーが誕生しています。裁断とシルエットで評価されたクリストバル・バレンシアガ:Christobal Balenciaga (1895-1972)、ユベール・ド・ジバンシー:Hubert de Givenchy(1927-2018
1920-1930年1925年にパリで現代装飾美術産業美術国際展で新しいデザイン様式として、アール・デコ:art decoが広まりました。直線で構成された機能的な美しさを追求したデザインで、ファッションではジンプルでスリムで脚を露出するスタイルへ影響を与えました。また、テキスタイルではソニア・ドローネや、ラウル・デュフィなどが登場しました。 この時代に注目されたデザイナーには、ガブリエル・シャネル:Gabrielle Chanel(1883-1971)がいます。当時下着生地
20世紀の服装1910年代 アール・ヌーボーのシルエットは姿を消すと、技巧的な曲線もフリルもなく、コルセットも必要もない直線的なシルエットが好まれるようになりました。この時代にポール・ポワレ:Paul Poiret(1879-1944)が、20世紀初頭の画家や芸術家の新しい表現方法に刺激を受け、ストレートなラインと鮮やかな色を用いたデザインを生み出しました。ポワレの活動を助けたのがイラストレーターのポール・イリブ:Paul Iribeです。ポワレのデザインを顧客にみせるた
1890-1900年 パリ万博のあった1900年後から新しいデザインが生まれる。それが、アール・ヌーボー:art nouveauです。アール・ヌーボーは、曲線とアシンメトリーを取り入れたデザインで、ドレスではシルエット全体で柔らかい線でカーブを描くようなS字デザインが取り入れられました。このようなシルエットを出すために、コルセットと下着によって造形されました。ヘアースタイルや帽子にもカーブのシルエットが用いれらました。機械によってレースが大量生産できるようになったことで、下
1870-80年全体的にスカートが広がるクリノリンスタイルとは違い、腰にボリュームを加えたスタイルはバッスル・スタイルと呼ばれました。バッスル:bustleとはクッションや針金、カゴなどで作られた腰あてです。バッスルスタイルは、腰を膨らませ、ウエストを細くするシルエットが特徴的でしたが、体を強制的に細くする必要があったので、当時の女性の寿命は貴族や富裕層ほど短かったそうです。 娯楽で人々が様々な場所へ行けるようになると、服装もその目的に合わせてスタイルを変えるため様々なデザ
1820–40年 ナポレオンが失脚し王政復古時代に入ると、服装もロココ期のような装飾の多い、ウエストの細さを強調したデザインが再び好まれるようになりました。ヘアスタイルも盛り髪が復活し、より技巧的なデザインで人々に広まりました。袖には、大きな膨らみをもたせたレッグ・オブ・マトン(leg-of-mutton)(ジゴ:gigot(仏語))が用いられ、膨らみは肩の下や肘や肘したに持ってくるバリエーションが見られます。 1850–60年 再びスカートが広がるスタイル、クリノリン