〜父の子離れ宣言は10-FEETのしゃがれ声とともに〜feat.母の涙添え
誰でも1つは
「この曲を聴くと〇〇を思い出す」ようなことはあるのではないだろうか。
もちろん、わたしもある。
10-FEETの「RIVER」という曲だ。
「18歳(高校卒業)になったら家を出なさい」
16歳の冬。
テニスの試合後、会場まで迎えにきてくれた車の中で父にこう言われた。
(試合会場は、車で1時間半のところだった)
ちょうどそのとき、車内のラジオから流れていた曲が
10-FEETの「RIVER」。
恥ずかしながら、
当時のわたしは進路なんてまったく明確ではなかった。
日々部活漬け。
そしてこの日は試合。
朝からついさっきまで頭の中はテニス一色である。
一方父は、
ちょうど父娘2人になるのがこの瞬間だったから、
言うにはよいタイミング。
父なりに、たぶんなにかに配慮したのだろう。
「家を出なさい」
この言葉の真意は、
親離れ子離れはこのタイミングが1番よいこと。
これは自身の経験から得たと父は言う。
また、どのみち遅かれ早かれ親子は離れる。
(死という意味でも)
それなら、〇〇離れは早いにこしたことはない。っとも言う。
父は、
わたし(長女)が生まれた瞬間からそう決めていたらしい。
てっきり母も賛同しているのだと思い家に着いたあと問うと、
いきなり泣いた。
どうやら寝耳に水のもよう。
「うそでしょ?」を連発で大混乱。
まるで、
さっきまで聴いていた「RIVER」の歌詞のように、
「母は泣いた、怒りながら泣いた…」という感じ。
ただし、
「やりたいことや行きたい進路が県内ならば、それは仕方がない」と父は言う。
高校2年まで進路ややりたいことに一切口を出さず、
否定もせず、
黙って応援してくれた背景があっただけに、
このルールは絶対守らなければいけない気がした。
その後、
幸か不幸か、
わたしの目指す進路(興味のある学科がある学校)は、確実に家から通えない場所だった。
ちなみに、弟は1浪したが、
浪人ですら海を渡った岡山県で寮生活。
(当時、香川県在住)
大学は九州に行った。
まさに両親は、
親離れ子離れを徹底したのだ。
わたしも同じく、
両親と過ごしたのは18歳の誕生日(3月31日)までである。
誕生日の翌日は大学の入学式。
式が終わると、わたしは神戸で1人暮らし。
母は、阪急三ノ宮駅の高松行きの高速バスに乗る直前、
泣いた。
「RIVER」の2番の歌詞と同じセリフを言って、
泣いた。
親元を離れて暮らし始めて、20年目。
わたしは、
あのタイミングで家を出て本当によかったと感じる。
改めて、父の考えはある意味正しいと思う。
自分なりに人生を切り開く力や乗り越え方、
「なんとかなるさ」精神や、
金銭感覚も身についたと感じるからだ。
とはいえ、
迷ったり悩んだりしたときは自分の考えをまとめた後、
相談に乗ってもらえる後ろ盾はすごくありがたかった。
感謝しかない。
また、
父は前から決めていたかもしれないけど、
母はよく決断したな、と思う。
未だに
「母親としては、娘には近くにいてほしいものよ~」
と言う。
(アラフォーなのに、まだ言われる。)
しかし、そんなことを言いながら
母は自分の人生を自分のペースで楽しんでいるように見える。
これこそが、たぶん親離れ子離れなんだな~と、
子であるわたしは感じる。
スラムダンクの映画やバスケのW杯の影響もあり、
10-FEETの独特なしゃがれ声を聴く機会が増えた。
そんな中、ふとSpotifyから聴こえてきた「RIVER」。
20年ほど経った今、
改めて聴くと、
ちょっと泣きそうになった。
この感情はなんなのか、うまく説明できない。
懐かしいような、
戻れない切なさのような。
でも清々しくもある。
ちなみに、
母に「RIVER」を聴いてもらったら
「ただ泣いてるっていう、ちょっとうるさい曲ね~」と、のんきに言う。
なぜ思い出の曲かはあえて言っていない。
母にとってはうるさい曲でも、
わたしにとっては母が泣いたのを思い出す曲。
そして、親と離れて生きる後押しにもなった曲だ。