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犬を飼ったら終わりだよ。
「犬を飼ったら終わりだよ。子どもを授かるまでは飼っちゃダメよ」
昼下がりの散歩中、老夫婦が柴犬を連れて歩いている場面に出会った。
犬の力が強いのか、
おじいさんのリードを持つ手は犬に引っ張られて、今にも足がもつれそう。
おばあさんは、それを見て笑う。
先頭を歩く犬は老夫婦の様子を伺うように、時折後ろを振り返っている。
淡い光に照らされている2人と1匹。
逆光だけど、なんともまあ、微笑ましい光景を見た。
飼うとか飼われるではなく、もはや、チーム。
その時ふと、わたしは冒頭の言葉を思い出した。
「犬を飼ったら終わりだよ」
そんなはず、あるもんか。
この言葉を発した人に、この光景を見せつけてやりたくなった。
それと同時に、あることに気づかせてくれた前職の後輩に、お礼を言わなきゃとも思った。
冒頭の発言は、
前職で休暇をもらいながら不妊治療している時にパートさん(Aさん)から言われた言葉。かれこれ6年ほど前だ。
それに関しては以前noteに記したので、よければ。
わたしを励ますつもりだったのか、
なにか意味があって言ったのかは知らんけど。
なんせ、なんの脈絡もなく突然言われた。
Aさんは当時、50歳前後。
不妊治療の末38歳で授かり、
産まれてきた娘は、当時中学生1年か2年生。
「わたしは、おばさんママだったの」
ことあるごとに、このフレーズを聞いた。
わたしが治療で半休や有給を使うたび、
聞いてもないのにご自身の経験を話す人だった。
身振り手振りや、ちょっとした演技っぽい口調を交えながら、武勇伝のように語る。
ある日、Aさんと後輩(Bちゃん)と休憩が重なった。
Bちゃんは、飼っている犬の写メを嬉しそうにわたしに見せてくれた。
「かわいいねー!なんて名前なん?」
わたしはBちゃんに尋ねたが、
彼女の答えにかぶせるようにして
Aさんは冒頭の言葉をわたしに向けた。
「なんで、終わりなんですか?」
Bちゃんの犬の名前をもう1度聞く前に、思わずわたしはAさんに問う。
「犬で子どもがいない寂しさをうめたらダメよってことよ。犬を飼っちゃうと、もうコウノトリさんは来ないわよ。赤ちゃんは、お空から見てるから」
なんかのホラーかと思った。
脅されてるのかとも思った。
犬とコウノトリさんって一緒なの?
お空で誰が見てるって?
大丈夫ですか?
わたしは、10秒ほどの静寂を作ってしまった。
さすがに思っていることは口に出せない。
その間、Aさんはわたしの返答を待っている。
すると、
「毛が黒いから、あんこって名前にしたんですー!何ものにも変えがたい相棒ですね、わたしにとっては。保護犬ですが、すぐわたしに懐いてくれたんですよー!」
Bちゃんが突然早口で喋り出した。
(イメージは、今の朝ドラ「虎と翼」の虎ちゃんのような、淡々と語る口調)
「何かをうめるために犬を飼うって発想、犬に失礼すぎると思いますけどねー。犬をモノだと思ってます?」
Bちゃんは、突然Aさんに問う。
実際に犬と生活している人の言葉には、
勢いと説得力があった。
言葉の重みも、まったく違う。
ここまでの記憶は鮮明だけど、その後はかなり曖昧。
たぶんわたしは、何も言わなかった。
AさんがBちゃんの発言に対して、どのように答えるのか、言葉を待っていたと記憶している。
その出来事以降、特に日常は変わらない。
Bちゃんは休憩がかぶるたびに、
あんこの写メや動画を見せてくれた。
「あんこ、こんなこともできるようになったん?すごいねー!」
っと毎回驚いた記憶は、ある。
*
犬を飼うのは、どう考えても始まりだ。
その後に紡がれるストーリーがある。
それは何ものにも変え難いことだと、わたしは思う。
決して、終わりではない。
老夫婦と柴犬が散歩する姿を見て確信した。
そして、このように感じていることを、
もうAさんに言えないのが少し悔やまれる。
今はどこで何してるのか知らんけど、
「ほれみろ!」っと喝を入れたい気持ちを抑えつつ、
「いい瞬間が見れたな」と得した気分になった。
それと同時に、
「うめる」ってあんまりいい言葉じゃないような気がしている。「さびしさを、うめる」って。
ぽっかりあいた穴に何かを入れるよりも、
その周りにあるもので「ならす(砂をならすような感覚)」方が、なんか気分がよい。
Bちゃんの言葉を今振り返ると、
何かの代わりにうめる「なにか」に失礼。
コトやモノにはよるけれど、
「うめる」だけの選択肢しかないのは、
心があまり豊かではないとも思う。
「ならす」とか「満たす」しか今は思いつかないけど、
それ以外の感覚をもっと手の内に持っておきたい。
通りすがりの老夫婦と柴犬を振り返って遠くから見ると、
急にBちゃんに感謝を伝えたくなった。
犬を飼う日常の喜びを教わり、
うめるのは、うめるモノやコトに対して失礼だと気付かされ、
何も言い返せなかったわたしをフォローしてくれたことに対して。
たぶん当時、わたしは彼女にお礼を言っていない。
それが最も悔やんでいることだと気づいた。