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歌詞感想|「燦燦」三浦大知

そろそろクライマックスを迎える、NHKの連続テレビ小説『ちむどんどん』の主題歌。

基本的に朝ドラは全く見ないタイプ。
なんなら自分からTVも付けない。
家族がつけたTVを通りすがりに見るくらい。

そんな私ですら耳に入る曲「燦燦」。
綺麗なメロディだなー、と思って歌詞を追っかけてみた。

白い花 揺れる波
遠くなればなるほどに
思い出す 糸と針 握る指先
手を鳴らして 歌う涙も
あの日の言葉も 星空も

届いて この歌 あなたは
いつもと同じように
笑いながら 言うのでしょう
「大丈夫 ほら 見ていて」
燦燦より
陽の光 纏う朝
開く窓 願う姿
忘れない 机の前 あなたの場所
また会えたら話をしよう
あの日の続きを聴かせてよ

届いて この歌 あなたが
信じてくれたように
どんな日々も どんな意味も
繋がっている

響いて この歌 あなたへ
降り注ぐ順光線
照らす背には永久の願い
「大丈夫 ほら 見ていて」

素敵な歌詞。なはずなのに、「うわっ、ヤバい」と特殊なベクトルが反応する。

これは家族の歌。
家族を思い、家族から思われている人の歌。
背中を照らす順光線のように、見守ってくれてる人がいる。
だから、大丈夫、見ていて。

なんてあったかいんだろう。
なんて心強いだろう。
って家族を思いジーンと来るところ。

でも、特殊なベクトルで反応する育ちなので、それを感じることが出来ない。背中を照らす光が無い、、、。

大丈夫、ほら見ていて。
と思い浮かべる事が出来たら、どれほど良いだろう。羨望、孤独感が動き出してしまう。

振り返っても誰も自分を見てない。
この宇宙に独りぼっちな感覚は子供の頃から続いている。

だから、家族の愛を唄う歌は、違う意味で心に刺さる。刺さり過ぎてしまう。

もう子供ではなく十分年老いてきたけど、振り返ったら見ていて欲しい気持ちが、成仏しないらしい。

まだまだ、だ。

順光線はあいにくわたしを照らしてくれないけど、私が豆電球にでもなって発光してやるんだ。
ちーっさな光を放つんだ。
なんて思ったりもする。

それよりも三浦大知さん素敵。
歌詞も歌い方も、佇まいも。
全部、全部、素敵。

羨望と孤独感が発動しても、それに支配させない温かさで圧倒される。

間違いなく、ご先祖から、ご両親から、ファンの皆さんから、もの凄い順光線を背にうけて輝いている姿を見るにつけ、嬉しくなる。

対極の輝きを見せてもらっている。
その光が私にも届いたような気持ち。
家族ではなく、三浦大知さんからの溢れた順光線が、眩しくて目を細めるような。

変な所で反応してゴメンなさいって思いつつ、こんな角度から受け取る者として、隅っこに置いておきます。

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