3歳の頃、幼稚園の下駄箱に貼られていた「自分用のシール」

先日、「一番古い記憶」について、音をたどりながら、記憶の中の場面を想起していた。

朝、家を出て、車に乗って、幼稚園について、クラスに入って、遊び始める。

一連の場面を、映画みたいに再生してみる。

気になるところは停止ボタン。頭の中で目をこらして、気になる場所に近づいて、よく見てみる。

下駄箱に貼られていた、「自分のシール」を思い出した。(見えた)

紫のボーダーの帽子を被った猫ちゃん。

丸くて柔らかくてかわいい音がして、ほっとする。

それで、でも、これは本当なのかな?と思って、ちょっと、確かめてみよう、と思った。

まず、描いてみた。

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幼稚園のアルバムに、下駄箱は写ってないかな、と思って、押入れからアルバムを引っ張り出してきた。

かくして、アルバムの表紙に「自分用のシール」が貼られているのを発見した。

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…。

いやほんと、これよ、このシールよ、見えたのは。

並べてみる。

画像3

黒ぶちがなかったり、口ができてたり、若干違いはあるけど、だいたい合っていた。

「怖。」

シンプルに、自分の記憶の鮮明さに怖くなってしまった(笑)。

脳って、ほんとに不思議だ。

33年前の、「幼稚園の自分のシール」は思い出せるのに、昨日着てた服はとっさに出てこないし、同じ話を何度も繰り返しがちだし、いろいろ思い違いで間違える。

たぶん、記憶がトラウマ化しやすい脳なんだと思う。

センセーショナルだった場面が一旦引っ張りだされると、いま目の前で起こってるように再生されて、見えてしまう。

勝手に頭が働いてしまうんだと思う。だからたぶん、意識して取り組むなら、私は「もっとぼんやり」していた方が、自分の身体のバランスがとれるのかもしれない。

ただ歩く、ただ土を触る、ただリクガメを見つめる、ただ子供と遊ぶ、ただピアノを弾く(音に浸る)、ただ洗濯を干す、ただ、ただ、ただ、、で身体を動かして、頭を休ませてみようと思う。

(→そろそろ「7月の本」を借りる時期なので、の自分への方向付けかな)

*記憶の鮮明さは、共感覚と写真記憶(たぶん)に関連するものだと思います。ちなみに、頭は良くありません(笑)

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