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晩夏

梅雨が明け、永遠に続くと思っていた夏は例年通りにどこかべたべたした熱を残したまま過ぎていった。部室から覗く光景は次の季節への準備をしていた。天高く積みあがる雲は姿を消し、トーストに塗ったバターの様な雲をよく見かけた。

翔(しょう):「今年の夏も何もなかったなー」
宏(ひろし):「そうか?悪くなかったと思うけど」
翔:「お前は夏への志が低いよな、なんかこう『今年の夏はこれをしました!』ってやつが欲しいじゃん」
宏:「まぁな。でも花火大会も行ったし、ほらあとつけ麺博も行ったじゃんか」
翔は壁にかかるカレンダーを経由して、五人入れば窮屈な部室の天井を見上げた。
翔:「んー、行ったけどな、違うんだよなー」

色褪せて年季の入ったエアコンは騒がしい割に働かない。蝉の鳴き声が穏やかになった最近ではその騒がしさがやけに目立つ。対照的に部員でカンパして二年前に買った安物の扇風機はせわしなく首を振っていつでも大忙しだった。その献身的な姿に部員で“ナイチンゲール”と名付けていた。

宏:「それにお前、今年で学生終わるからセンチになってるだろ?最近よく言うもんな。『大学生活満喫しよう』とか『もう時間がない』とか」
翔:「そりゃそうだろ?だってあと数か月もしたら会社と自宅を行き来するだけの生活が始まるんだぜ。考えたらなんかもう焦ってきた」
宏:「悲観的だな」
翔:「いやお前が楽観的なんだろ。あーあ、俺の人生の夏休みも終わりだ。短かったな、夏も大学生活も」

肌にへばり付くじっとりした汗の様な沈黙はテーブルにあるボディーシートでは拭えそうになかった。すると急に入り口の扉が開き、汗だくの永田が入って来た。

永田:「なんだよ、全然涼しくないじゃん。てかここ外より暑いぞ」


               五年後・・・

翔:「確か花火見に行った時だろ?覚えてるよ、永田が勢いで人生初のナンパをした時にさ、強面な男が後から来てカツアゲされてたよな。小銭まで差し出してたし。どっかふわふわした女の子だったから油断してたらあの有様。いやー、笑ったなー。昨日の事のように思い出せるわ」
宏:「そうそう、あととぼとぼ戻ってくる永田の背後から花火が上がってたのも最高だった。夏になると毎年思い出して笑ってる」
翔:「あれは傑作だったな、でも同僚に話してもなかなか伝わんないだよ」
宏:「お前、他所で話してんのか?恥ずかしいからやめろよ」
翔:「なんかその伝わらない感じも病みつきになってて。お、そろそろ永田が入ってくるらしいぞ、このタイミングの絶妙さは全然変わらないな」

15インチほどの画面を通して二人は笑い合う。笑うと少し目じりの皺が出てくる翔の画面の奥にはステッカーまみれの扇風機が映り込んでいた。動きはぎこちなく、デザイン性も皆無だが、確かにあの時と変わらない風を送り続けていた。

#2000字のドラマ

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