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小説|十七月の歌 #2

籠の中のオリュンポス

社会で身を立てると決めた僕は、「とにかく動け」と、ヤスという男と会社を設立した。まずできることを考え――ヤスはいろんな人との交流が苦じゃなかったし、僕はプログラミングに習熟していた――、システム開発案件を受注し、二三ヶ月のペースで納品するようになった。半月に一度は解決できるかわからない壁に打ち当たったり、事故が起きたりして、その度に心臓を鳴らして奔走していたが、僕らは会社に住みつき、充実を感じていた。

ヤスは陽気だった。例えばある深夜二時、いつものようにオフィスで仕事をしていた僕らは、休憩がてらコンビニに行こうと部屋を出た。するとヤスは、真っ暗で誰もいないフロアを見渡すや、徐々に奇声――簡単な英単語の羅列――を発しながら跳ね回り、ホールへと向かっていった。そして、シャツを脱ぎ捨て、上半身裸になり、エレベーターの扉に鼻先が触れるほど近づいて待ち構えた――まるで自らの運命を試すかのように。……果たして扉が開くと、仕事上がりの女性が立っていた。彼女は一瞬驚いたものの、「お疲れさまです」と素敵に流してくれて、僕らは事なきを得た。


翌年、大手のデータ分析案件に入る機会があった。新技術の活用を目指したこの案件で、僕らのシステム設計は高い評価を受けた。僕はこれを横展開し、主要事業に据えた。これまでの事業経験から、発射角度を間違えたら、いくら執行のレベルが高くても成長できないことを学んでいたが、これは良いと思っていた。とはいえ、商談は百戦百勝ではない。今までになかったのだから断られて当たり前、と励ましあって営業を続けた。

さらに数年経つ頃には、大型案件が続々と決まり、取材記事が全世界に拡散され、米国案件も増えていた。僕は英語市場へのアクセス拡大のため、米国への投資比重を高め、本社をサンフランシスコに移すことにした。

僕の業務はステージに応じて変わったが、どの領域においても先鞭をつけるという意味では変わらなかった。僕はただ、自分の役割を合理的に、効率的にこなすことに努め、そこに自分の感情が伴わなくなっていることに、目を向けることはなかった。



サンフランシスコに移る前に、僕は久しぶりに三河家を訪れた。凪と薫さんは、起業で忙しくなった僕を気遣い、無理しなくていいと言ってくれていた。しかし今回会っておかないと、長く空ける可能性があった。僕は、ずっと仕事に浸り、脳裏にはビジネスの課題や施策が張り付き、夢の中でさえ解を探すほどだったため、この一泊は、久々の休暇となった。

空港の到着ロビーで三人の姿を見た時、本当の家族みたいだなと、僕の胸に暖かみが広がった。僕の情報はニュースなどを通して共有していたこともあり、僕は自然と、彼らの話を聞く側に回ろうと努めた。そして、三人の生活や街の出来事について、五年間の渇きを潤すように聞き続けた。夕方には、近所の人たちも駆けつけ、それぞれ一升瓶を抱えてきたもので、僕らはかなり酔った。皆が帰った頃には深夜一時を過ぎ、葵は既に部屋で眠っていた。僕はあっけなく過ぎた時間を悔やんだ。

薫さんが、飲み過ぎちゃったわと、心地よさそうに言った。お風呂どうぞ、と促されたが、僕は、先に入ってください、凪と自販機に行ってきます、と軽く返事をした。僕は椅子にだらっと座り、凪は隣で突っ伏していた。凪行こうよ、と言うと、いかんよー、と言う。しかし、「話したいことがあったんだよ」と耳元でいうと、電球がついたみたいに顔を上げて、にっこりした。ただ田んぼに落ちてもいけないので、二階に上がった。

凪と二人になると僕は、事業にはどんな価値があって、組織はどれくらい大きくなって、どんな権威から認められて、とアピールしていた。僕の女神に認めてほしかったのだ。凪は、それを嬉しそうに聞いていた。しかし僕は、凪の表情が薄いガラスのように脆いことに気づいた。僕は「惚れ直してくれる?」と問いかけたかったが、言葉は喉元で詰まり、代わりに無責任な想いだけが口から零れた。

「きっと、いつまでも好きだよ」

凪はすぐに「私もよ」と笑顔で答えたが、その幼気な姿に、僕はつい抱きしめてしまった。その温もりは、記憶の中と今の凪との境界を曖昧にしたが、その心が僕に委ねられることはなかった。ぎこちなくなった抱擁の中で、僕は誤魔化すように「でも、次いつ帰るかもわからない」と付け加えた。しばらくして、凪は僕の肩を優しく撫で、「弟みたいなものだからね」と囁いた。そして、薫さんが「お風呂上がったよー」と言ったのに、凪は身体を離して、「テンが入るってー」と返した。

最後に、凪は僕の頭を抱いて、「じゃあね、テンも私のこと気にするんじゃないよ」と残して、階段を降りていった。その後ろ姿は、遠くへ消えてゆくようだった。


翌朝、僕らは四人で空港へ向かった。凪は明るく振る舞っていたが、その笑顔の奥には一瞬、不安げな眼差しが垣間見えた。僕は彼女の日常を揺さぶってしまったことを思い、静かに目を逸らした。

一泊二日は余りにもあっけなく過ぎて、もう一泊できなかったことを後悔した。しかし、仕事を前進させる効力感は、早くも飛行機の搭乗ロビーでそれを癒してしまうのだった。



移住してからは、仕事の規模も大きくすることができた。グローバル企業、各国政府、国際研究機関などの案件だった。この年の資金調達で会社評価額は十億ワンビリオンドルを超え、僕らの会社はユニコーンと呼ばれるようになった。

ただ、この頃から少し伸び悩んだ。当時の社会的動乱の中でも、社内オペレーションを整え、業界の新しい標準となる製品をいち早く打ち出し、業界の明暗がはっきりしてくると、ターゲット市場を切替え、それらは上手くいった。にも拘らず、市場の切替えによる顧客獲得の鈍化、先行きの不透明感による大型契約の遅延、そういった特殊要因に加えて、競合の乱立や用途規制といった環境要因があった。

投資回収の見込みが低い内は、リスクを抑えて仮説検証を続けるしかない。だが成長率が下がってくると、経営陣は株主から叩かれる。この状況下、人智を尽くして対応してるつもりでも、必要な投資をしていないと、厳しい声もあった。

しかし、無力な時代に比べれば、ここまでの社会での苦労は大したことがなかった。不条理に苦しむことも、生か死の二択に直面することもなかった。いかに客観性を保ち、解像度を上げて意思決定してゆくか、それだけで良かった。



自由と信念と友と

創業八年目で会社を売却した。山頂に岩を上げては落とされるシーシュポスのように、売上を積んではゼロになる四半期を繰り返し、実証的再現性――上手くいくからそうするという使い捨ての経験則――を絶えず更新し、偏見バイアスなき意思決定を保ち、自分の中の基準を沈黙させ続けて、気づけば僕は、良いことにも悪いことにも心が動かなくなっていた。

それと呼応するように偏った生活のツケ――チカチカする三角形がいくつも現れ、目を開いていることもままならないような頭痛――が出てきて、僕は生活を改めた。対症療法より効果があったのは、禁煙、立ち机、筋力トレーニング、カフェインとアルコールを控えることだった。しかし、視界のミドリムシは九匹残った。僕は青空を這う虫たちを眺めて、世界が朽ちてゆくのを感じた。

ここまで僕を突き動かしていたのは、「生まれたからには何かなさねばならない」という強迫観念のようなものだった。だが着実に近づく終わりを突きつけられ、僕は生き方を見直さざるを得なかった。

何度勝っても満たされず、器用になるほど些末に見えてくる日々の中で、僕は競争に幸福がないことを悟った。成功の規模サイズではない。オリュンポスの住人なる成功者も、偏執を抱え、幸福を見つけられず彷徨う人々だった。さらにここまできても、人生など初めからなかったならそれに越したことはないと考える自分を発見した。もはやここに望む生活は見当たらなかった。

この状態でも事業家で在り続けることはできる。しかし、僕には一時いっときの処世の術という以上に未練がなかった。――といっても、身につけた能力を殺すわけではない。この世界をふたたび盲信することはないというだけのことだ。


売却交渉はスムーズだった。五社から入札を受け、僕はインタビューに答えていった。当座の外部環境を除いては、経営状況について、どれも魅力的に語ることができた。そして、売却益を手にして僕がしたのは、野心のない資産分散アセットアロケーションだった。法定通貨、株式、国債、金銀、仮想通貨、不動産――六本木一丁目に立つマンションの一室と、都内からアクセスのよい台地の山と、三河家の近くの土地――。

四国の方は、米国を出る前から凪や薫さんに協力してもらって、土地購入や設計や業者手配を済ませていた。関東の方はもらった地形図や地質調査などの資料だけで決めてしまった。日本に戻ってから訪れてみると、どちらも想像していた以上に好みの場所だった。僕は、二つの土地に家を建て、落ち着いた時間を過ごそうと考えていた。



再び十七月に入った僕は、しばらく関東の旅館に独りでいることが多かった。自然の中で過ごすことが心地よく、都会における、のっぺりと密集したビルや、手あたり次第の効率化に繁茂するサービス、刺激に反応するばかりの表層的な生活、そういうものから距離を置きたかった。また僕は、心を動かすものを求めて、昔好んで読んだ文学や哲学の書を読んでいた。

その内、何となしに手に入れた『自由からの逃走』の原本を読んで、自分もその症状、自由への不安ゆえに自らの基準を捨てた状態に陥っていたのだと、ハッとさせられた。目標や日々の行動、それらは自分で決めたにもかかわらず、その是非は外的な尺度に委ねられていた。僕が陥っている無感動は、これによる自己疎外であり、振り返ると自分は、損得勘定でしか生きていなかったと痛感した。

だが、フロムのいう自由にどう到達すればよいのか、自らの価値観を失って久しい自分には掴みどころがなかった。そこでふと、木々の間や山道を散歩したり、草むらに寝転んだりしていると、カントの定言命法に、自由についての記述があったことを思い出した。カントとフロムとの自由の定義は異なっていたが、カントのような動機によらない行動指針、すなわち信念をもつことは、外的な基準を逃れる手がかりを与えてくれた。そのようにしながら、散策しながら詩を書いたり、ギターを弾いて作曲したり、自らの心の向くまま、芸術活動に耽っていった。

結果、創造によって内面を外化することが、自らの人格や価値観を更新してゆくうえで有益だったらしい。それからは、形を帯び始めた自らの基準に従って生活することができた。すると、硬いゴムのように委縮していた心は、風に戦ぐ白布のように感応を取り戻していった。僕はようやく人に会いたいと思い、凪に連絡をした。



四国の方を訪れた際、三河家と地元の人たちが宴会を開いてくれた。皆、応分に歳を取っていたが、穏やかなのは変わらなかった。

葵は東京の大学に通っており、帰って来られなかったが、凪は夫と息子と参加してくれた。夫は大学の同期でヨウといった。息子ももう四歳になっていた。遥は香川の出身だったが、三河家に同居していた。物静かだが人との折り合いはよく、自分の頭で考えていて、僕は三河家目線で素敵な人だと思った。

人の出入りが多かったため、主催してくれた薫さんとちゃんと話せたのはお開きにした後だった。今日のお礼をいって僕は、何かあったら嬉しいものはありますか、と切り出した。

「なに、ツルの恩返し?」

僕が軽く笑って「そうです、覗いちゃだめですよ」と返すと、薫さんは笑みを湛えて、「大丈夫よ、気持ちだけで。あなたが帰ってきてくれただけで十分」と答えた。しかし、僅かでも、形にして恩に報いたかった僕は、話を伺いつつ設備の新調やガレージの立て直しを提案し、賛成してもらえた。

ガレージは葵以外に立ち入る人はいなかったので、念のため、葵に訊いて置くことにした。ちょうど凪が、遥たちが眠ったのを機に戻ってきて、葵に電話をかけた。久しぶりと挨拶して、先の件を訊いてみると、「幽霊とか怨念とかを信じてないだけだから、取り壊して大丈夫」とのことだった。

そして結論、隣の土地を買って物置を新設する工事も追加された。僕は少し心が軽くなったのを感じ、「今後も何でも頼ってください」と告げ、お風呂の準備のために二階に上がった。

荷物を整理していると、開いたままの戸の向こうから、凪がそっとノックをして、微かな音が部屋の空気に染み込んだ。話したいことは沢山あったが、この部屋だと色々と想い出してしまうので、散歩しようと誘って、二人で夏の夜の街を歩くことにした。外は虫の音や蛙の声がしていた。肌を撫でる風は涼しく、そのまま一夜明かしたくなるような心地よさだった。電灯の灯りはまばらに道を照らし、僕らの影を引く。懐中電灯の光は足元だけを照らし、未来も過去も、この闇の中に隠れるようだった。

ふと僕は、遥さんって良い人だね、と切り出した。凪は、式をやらなくてごめんね、と振り返る。謝らなくていいさ、と僕は答えて、ゆっくりと歩きながら、街に流れた時間を、そして凪に流れた時間を想った。あの時の選択が、凪をどう変えたのか――あるいは、変えなかったのか。

僕が、もっと早く戻ってくるべきだったな、とぼやくと、凪は笑ってなじった。「それもテンの選択でしょ?」それは過ぎ去った時間の存在を示すようでもあった。「不器用だったな。みんなが元気でいてくれたから、よかったけど。」そう僕が述べると、凪は静かに答えた。「それで十分よ。人生には、やるべき時がある。」

――もっと余裕を持って、器用に生きることができていたらどうだったろう。ようやく、凪のような美しい生き方に辿り着けるのかもしれない。僕はそんなことを考えながら、遠回りをしてきた自分の人生を振り返っていた。

「ほら、海が見えてきた」

凪が指差した先には、峠の向こうに広がる街と、黒々と広がる海があった。僕はぐるりと辺りを見回す。この街は変わらない。山と海に包まれて。僕はこの街に受け入れられる感覚と同時に、僕の中に山や海が流れ込み、自分と不可分なものがこの土地に溶け込んでいるように感じた。

僕らは港まで歩き、ブロックに腰を下ろした。穏やかな入り江には、波がコンクリートに寄せる柔らかな音だけが響いて、僕らの沈黙を彩っていた。

「ねえ、惚れ直してたと思う?」

不意の言葉に驚きつつ、僕は凪の横顔をみて、「え、けっこう頑張ったぜ」とおどけた。凪はこちらを向いて、僕の心を読むようにじっと見つめている。その悪戯っぽい瞳には、何か寂しさのようなものが漂っていた。

「正解はね、――ずっと大好きだったよ」

僕は照れ笑いして「俺だって、揺るぎないさ」と答えた。そしてもうひとつ真実を伝えた。

「凪と過ごした日々は、今でも俺の人生でいちばん美しいよ」

それは事実、どんな成功の瞬間より痛切で、比べようもなかった。その言葉に、凪はゆっくりと視線を海に移し、僕らの間には、ただ波音だけが流れていた。

「……本当に、あなたに声をかけて良かった」

凪の声は、どこか遠くから響いてくるような、静かなものだった。僕も同じように海を見つめ、言葉を重ねた。

「凪は、世界の微笑みそのものだったよ」

「あなたも私の微笑みだったのよ」


「……ほら、ちゃんと海を見て」