世界に一人の夏の思い出
小学6年生の夏休み最後の日の早朝に、一人で出かけてみたことがあります。
父も母も姉二人もまだ寝ていたので、何も言わずに外に出て、駅前の広場の真ん中にある木に登って静かな朝の時間にぼーっと過ごしていたような。スズメではない鳥が飛んできたりして、動いているものはそれくらい。
そのうちにスーパーに荷物を運びこむ車が通ったりして、人が動き始めたので。ふらりと帰宅。家族には不在は気づかれることなく、そのお出かけは終わり。
今思えば、とても怪しいし、不審だし、不用心なことだと思うけど、昭和の時代の子供はわりと一人でふらふらしても大丈夫だったのです。
なんでそんなことをしたのだろう。
なんとなく、小学生の夏休みの終わりが、子供の時間の終わりのような気がして、区切りに何かをしてみたかったような気がします。
あんまり小学校は好きじゃなかった。勉強はできるほうで、手もあげてやたらと発言をするのに、友達付き合いが得意ではなく、班作りなどで一人残ってしまうような子供でした。
一人でよければいいのに、小学校は一人にしておいてくれないところで、それがめんどうで、情けなかった。年の離れた姉二人のいる私には、小学校の同級生達は話が通じない獣のようで、苦手だった。先生も、別に好きじゃなかった。嫌いな給食も多かった。
好きじゃないことだらけの不自由な子供時代(私にとって)、夏休み最後の日の一人の時間は、悪くない記憶として残ってる。
これからも、好きじゃないことはいっぱいあるだろうけど、一人で過ごしたあの時間。私がいるなあ、私が見ているから、世界があるなあ、今になって言葉にしてみるとそんな感じ。
そうか、そんな感じだったのか、小6の私よ。すごくいい。世界に一人の私の世界。本人はラクじゃなかっただろうけど、今眺めると、勇者みたいだよ。
8月31日の夜ではなくて、朝の思い出でした。
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