8月が終わる前にしておきたい真面目な話
8月といえば?
夏休み、お盆、花火大会、夏祭り。
野球好きなら真っ先に甲子園を思うでしょうか。
大学生なら前期考査とか、集中講義とか。笑
いろんな出来事があって、いろんな思い出があって、12ヶ月のなかでも、8月は何かしらのイメージがつきやすい気がします。
広島県生まれ、広島県育ちの私にとって
夏休み真っ只中の8月は、6日に登校日があって、必ず平和学習をするものでした。
登校日に平和学習をするというのが全国一律でなかったことを知ったのは、大学時代。隣県の小学校で1週間の学習ボランティアをしていたときでした。
ボランティア2日目だった8月6日、朝の挨拶で先生が一言
「今日は70年前、ヒロシマに原爆が落ちた日です。平和な今日に感謝して、勉強を頑張りましょう。」
以上、終わり。
その後も、特別に平和学習をすることなく、前日と同様に算数と国語の勉強をして、帰りの挨拶をして、終わり。
先生方との報告会で、平和学習ってないんですねと零した私に、校長先生は「広島育ちならなんか喋ってもらえば良かったねえ」と笑っただけでした。
これが本当に衝撃で、後日集中講義で会った他県出身の友人3人に、広島・長崎の原爆の日と終戦記念日を尋ねました。
帰ってきたのは、三者三様の返事。
友人A「原爆の日が15? あれ、終戦が15?」
友人B「広島が6日、終戦記念日が15、長崎はわからん」
友人C「広島が6日8時15分、長崎が9日11時2分、終戦が15」
投下時間まで答えられたのは、長崎出身の友人でした。
日本が戦争をして、日本で起きたことではなくて、広島と長崎で起きたこと、という認識なんだなあと、その時ようやく気がつきました。
あとから聞いた話ですが、他県育ちの父は、私(長子)が小学1年生の頃、なぜ6日に登校日があるのかわからなかったそうです。
その一方で。
私の身内は、阪神・淡路大震災で誰も被害にあっていません。
東日本大震災の日、瀬戸内海に津波なんか来るわけがないと、部室でトランプをして遊んでいました。
就職に伴って関西に来て、自分の意識の向く先が、生まれる直前の大地震よりも、祖父母が目にした戦争にあったことを知りました。
関西の方たちが、毎年震災を振り返って追悼と戒めをするように
広島生まれの私は、毎年追悼と戒めをするべきなんだろうなと思います。
1945年8月6日8時15分
病弱で自宅にいた祖父は、広島市内へ学徒動員されていた同級生を亡くしました。
登校しようとしていた祖母は、友人宅の玄関先で西の空が酷く光ったのを見ました。
残念ながら、祖父はもう亡くなっているし、祖母は認知症で孫の私の存在も、自分が結婚したことも忘れています。
今年、このコロナ禍で記念式典は縮小実施となりました。
身近な人から話を聞くことはもう叶わないけど、祖父母から聞いた話の断片を忘れずに、当時の史料から学ぶことを厭わない私でありたいなと、改めて感じた8月でした。
ピカドンを見た朝のこと忘れない祖母がいました生きていました / 南 美桜