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藤牧京介という、眩しさについて

好きという感情は、鏡みたいなものなのかもしれない。

同じ痛みを抱えている人。同じ場所でもがいている人。
悩みに対する答えを持っている人。憧れへ半歩先に到達している人。
形はそれぞれだとしても、そのときに必要な人を、必要な理由があって、手を伸ばす。
それが、好きという感情なのかもしれないと思うことがある。

あまりにもエゴイズム的で虚しくなるが、それでも、どうしても、今の私には“藤牧京介”という人間が必要だったように思う。
好きになるということがそういうことなのだとしたら、私は彼を好きにならざるを得なかったんじゃないかと思う。

藤牧くんを好きになったのは、2023年年末。
きっかけは、ほんの些細なことだった。

年末年始で高熱を出して、やることがない。眠れもしないけれど、仕事をするほど頭も働かない。Youtubeも見飽きた。映画を観れるくらいに頭が働いているなら仕事をする。かといって天井を見つめるのも飽きたが、目を閉じても眠れない。

そんなときにふとタップしたのが、Leminoのアイコンだった。

今なら日プ観れるんだ。シーズン2ってジャニーズJrだった田島くんがいたところだっけ。西くんって人の顔がかっこよかったような気がする。小堀くんっていう子がSixTONESの曲やってくれたんだっけ。

ジャニオタでSixTONESのオタクだった私は、界隈でオタクを騒つかせた女狂わせ顔の西くんと、大人になった田島くんと、Telephoneのラップを頑張ってくれた小堀くん観たさに軽い気持ちで再生をはじめた。本当に、軽い気持ちだった。

というのも、私はこのときもう新しいアイドルを好きになることはないと思っていたのだ。
藤牧くんを好きになる前に8年推したアイドルはあまりにも特別で、もしこの世界に私と同じ痛みを持つ人がいるとしたら、たった1人彼なんじゃないかと思う。今でも思っている。

お願い いつまでもいつまでも越えられない夜を
越えようと手をつなぐこの日々が続きますように

https://youtu.be/-EKxzId_Sj4?si=3JPWKJ7yTd9U-Sku

これは彼を推しているときに彼を想って聴いていた歌詞の引用だが、私は彼を好きでいることで強くなろうとしていた。彼を好きでいるから強くなれる気がした。この手を離せば自分がまるっきり変わってしまうような気がしていたから、どんなに距離ができても彼の手を離すことだけは絶対にないと思っていた。彼以上、どころか彼と同等に好きになれるアイドルなんかこの世に存在しないと思っていた。

そんな私の世界を、藤牧くんはまるっきり変えてしまった。

いつから、とか、何がきっかけで、とかは、全くわからない。
回を追うごとに、西くんや田島くんや小堀くんを観るために押していた再生ボタンが、藤牧くんを観るためのものに変わっていた。いつの間にか、画面の中にいる彼の姿を探すようになっていた。

「あ、好きだ」と思った決定的な瞬間は、A .I.Mのポジション決め。
サブボーカル3を選び、「曲の雰囲気を変えるパートが好きで、自分の歌で貢献できると思った」とまっすぐに語る藤牧くんを観て、「この人は自分の歌を信じているんだ」と思った。
思い返せば藤牧くんは、日プ期間中に歌へ自信のない素振りを見せたことが一度もなかったような気がする。経験のなさから自信を持てずに涙したり、ダンスに必死になって歌詞を覚えられなかったりと、いつも不安が顔に出て不器用な子だという印象はあった。でも藤牧くんは、どんなときでも自分の歌だけはまっすぐに信じていたんじゃないかと思う。歌について話すときの彼の瞳はいつだってまっすぐで、ステージでは誰よりも幸せそうに歌う。

眩しい、と思った。

藤牧くんは、自分の才能を信じる力が好き サバ番の時からずっと自分の声が特別だって信じていて、未経験でできないことだらけでいくら自信を無くしたって歌う自分のことだけは疑わなかったところが好き わたしにはそれができなくって、だからどうしようもなく眩しくってたぶんそこが好きなんだと思う

https://x.com/mi00615/status/1742539952909619688?s=20

引用のようなツイートを藤牧くんを好きになったばかりの頃にしていたが、私には彼の「自分の才能を信じ続ける力」がどうしようもなく眩しかった。それは星が瞬くみたいに輝いていて、自分が持つことのできずにいたその光に、手を伸ばしたくて仕方がなかった。

そこから日プをファイナルまで観終えてYoutubeで「藤牧京介」と検索した。いちばん上に出てきたFirst Loveのカバー動画を再生して、パソコンのスピーカーから流れる声を聴きながらぼろぼろと涙を流した。誰かの歌声で泣いたのは、これがはじめてだった。

そこからしばらくは、たくさん彼の歌を聴いてたくさん泣いた。

彼の歌声を聴くたびに、私の中でなにかがやわらかく解かれていくような気がした。私の中でなにかが、大丈夫になる音がした。

社会に出てから、必死で自分に鎧を着せて世界のすべてを威嚇するように生きてたの、藤牧さんに出会って棘を抜かれたみたいに柔らかい気持ちになれたの、それってたぶん彼自身が澄んだ人だからだと思うんだ

https://x.com/mi00615/status/1757772857848086992?s=20

藤牧くんの歌を聴くという行為は、私にとって鎧を一枚ずつ脱ぐ行為に限りなく近い。藤牧くんの存在が鎧を脱がせ、心と身体を休めさせてくれる。

いつからか、「強くならなきゃ」と思って生きていた。社会に出てからは特に強い自分を追い求めて、強い自分でいるために何重にも鎧を着るように心を武装していた。だからこそ、藤牧くんの前に好きだったアイドルの強さが好きで、彼を好きでいることで自分も強くなろうとしていた。

その一方で、いつからか自分の弱さを許せなくなっていた。自分の弱い部分を否定することで強さを手に入れようとしていた。藤牧くんに出会う前の自分の心は、今思い返すと無理が生じていたんだと思う。だれかに傷つけられるどころか、自分で自分を傷つけることに抵抗がなく、気づけば心は細かい切り傷でいっぱいになっていたんだと思う。

私が藤牧さんを好きになったことに対して友人が、

仕事人間なその人にとって、藤牧さんは心身を休める場所になってくれたんだとか。寝食を犠牲にしちゃうタイプの人だったので、すごくほっとした

https://note.com/solleon__e/n/nb444b6f314e4

とブログに書いていた。藤牧さんのことを好きになる前、好きなことをする自分を信じることができなくて、自分の弱さが受け入れられなくて、強くなろうと焦って、寝ることや食べることにすら罪悪感を覚えていた。好きだったアイドルが、自分を犠牲にすることを厭わず「食事を全部点滴にしたい」などと言ってのける人間だったので、寝ない・食べないこと=正しいことという方程式が自分の中で生まれていたことも影響しているのだと思う。徹夜を続けて月に一度は高熱を出し、ご飯を食べれば一点を見つめたまま動けなくなり幾度となく「もうお腹いっぱい?」と友人に悲しそうな顔をされた。罪悪感で胃が痛くなるので好きだったアイドルは視界に入れることすらできなくなり、ささくれ立った心のまま友人や恋人を傷つけてしまったこともある。

でも、好きだったアイドルとは違って、たぶん藤牧くんはそんなに強い人ではない。

細かいことを考えすぎてしまう性格だと語っているのを目にしたし、実際にオーディション中も不安で今にも押しつぶされそうな顔をしていた。うまくいかないチームに所属するとこの世の終わりみたいに顔が曇っていく。夜はうまく寝つけないみたいだし、グループの中でも体調を崩しやすいほうで何度かグループ仕事をお休みしていたこともある。

だからこそ、私には藤牧くんだった。藤牧くんが必要だった。

藤牧くんは強くないけれど、強くない自分と向き合って生きているように思う。最近は、「細かいことを気にしないようになって、寝つきが良くなった」と言っていた。今年新社会人に向けたメッセージでは「最初からできないのは当然 焦らずに!」と書いていた。

ほんの2年前は、焦って泣いたり、画面越しでも伝わるくらいいろんなことに悩んでいたのに。それにも関わらず、藤牧くんは完璧に強くはない自分と向き合って、受け入れて、一歩一歩前に進むことで少しずつ強い人になっていく。

藤牧くんを好きになって、それでいいんだと思えた。強くなれなくてもいいし、立ち止まってもいいし、最初からうまくできなくても、焦ってもいい。一つ一つ向き合って、歩みを止めなければきっと大丈夫。わたしたちは大丈夫になれる。

等身大を受け入れて、信じたい自分を信じる。

藤牧くんは私にその力をくれる存在で、彼を好きでいることで私は私を少しずつ信じられる気がする。あの日眩しいと思った光に、手を伸ばしていられる。

そんな気がして、全く行く予定のなかった京セラドームへ藤牧くんの歌を聴きに行った。

京セラドームではじめて会う藤牧くんは、幸せそうに歌って、ファンのことをとてつもなく大切そうに見ていた。競争のはずの三輪車レースではゆっくりと走りファンに手を振って回って最下位になっていた。アンコールが終わると誰よりもはやくステージの端へ駆け出し、ステージ横のファンに会いに行っていた。ファンのもとへと向かうのはいちばん早いのに、立ち位置に戻ってくるのはいちばん遅い。そんな藤牧くんを目の当たりにして、彼は目の前のものやことを大事にする力がある人なんだと思った。

そんな藤牧くんを見ていたら、私も前より少し、目の前のことを大事にできるようになった気がする。大切な人には大切だって、いつもありがとうって言えるようになった。連絡すら返せていなかった人と、久しぶりにご飯に行った。ちゃんと食べたら、ご飯がこんなに美味しいんだってわかった。私が藤牧くんを好きになってほっとしたと書いていた友人は、久しぶりに会った私を見て「顔色が良くて健康なんだと思った」と笑ってくれたし、最後まで疲れずに焼肉を食べる私を見て嬉しそうにしていた。敵のように思えてうまく話せなかった同期とは久しぶりに2人で飲んで、くだらないことで笑って、お互いに作ったものを褒めあった。

やさしい藤牧くんのおかげで、私も少しやさしい人になれる気がする。いま感じているこの感覚を守るために、藤牧くんを見つめていたいと思う。

目の前のぜんぶをたいせつにしたいって思えたのも、優しい自分でいたいって思えるようになったのも、ちょっとだけ自分を信じたいって思えるようになったのも、全部全部藤牧くんのおかげなんだよ

https://x.com/mi00615/status/1757773210450546986?s=20

まだまだ自分のことを完全に信じることはできないけれど、藤牧くんのことを好きな自分は少しだけ好きだと思える。それだけで、彼を好きな理由は十分だ。

悩んだりもがいたりしながら好きなことで輝く藤牧くんの眩しさ。目を凝らしてそれを見つめながら、私も悩みもがいて好きなことをする自分を信じていたい。そうすることで、やわらかい自分でいたい。

悩むことも、焦ることも、迷うことも、今までと変わらずあるだろう。でも、きっと大丈夫な気がする。彼の光を見失わなければ、大丈夫になれるんだと思う。

不器用でも、うまくできなくても、そうやって藤牧くんを好きでいる時間を大切に抱きしめていたいと思う。やわらかくあたたかく差し込む光のような彼の歌声に、いつまでも耳を澄ましていたいと思う。

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