傷つくような批判から心を守る方法
以前、友人からこんな話を聞いたことがある。
「世の中の人のうち、2割の人には何をやっても嫌われてしまう。6割の人は状況によって変化する。でも、残りの2割の人には、何をやっても好きになってもらえるんだって」
なるほど!と腑に落ちた。
「何をやっても2割の人は味方でいてくれる」と思うと勇気が出る。
「何をやっても2割の人には嫌われる」と思うと、そういう仕組みになっているなら仕方ない、応援してくれる人の方を向いていよう、と潔くいられる。
だから「自分のことを嫌いな人はいて当たり前」という考えで、私は誹謗中傷や悪口が集まっていそうな場所はわざわざ自分から見に行かないようにしていた。
でも今日、思いも寄らないタイミングで、自分に向けられた明確な悪意を見てしまった。匿名のコメント。批判的な言葉は、見た瞬間にぎゅっと胸が苦しくなる。「自分のことだ」と気づくと、心臓が凍ったみたいに胸の辺りが冷たくなった。
こういうものは、見ないのが一番だ。でも不本意ながら偶然自分を批判する言葉を見てしまったとき、どう対処するのが良いのだろう?
ナイフのような言葉を受け取ってただ傷つくのではなく、合気道のように受け流す技術がほしい。悪意や敵意を受け取ってしまったときに、自分の心を守る方法を今こそ身につけておくべきなんじゃないだろうか。そう思っていくつか本を読んでみたら、すばらしい1冊に出会えた。
著者はドイツの女性コミュニケーショントレーナー、バルバラ・ベルクハン。本書では「感情の暴走を止める方法」や「批判されても傷つかない方法」によって、自分の心の鍛え方が示されている。
なかでも一番私の心に響いたのは、「批判」についてのページだった。
その批判は、「よい批判」なのか?
私が人から悪意を向けられたとき、無視しきれないのは、無意識に「その指摘は正しいんじゃないか?」と思ってしまうからだ。
その批判は、もしかしたら自分のためになる批判なのかもしれない。的確な部分をついているのかもしれない。自分に足りないところを指摘されているから、こんなに傷ついているのかもしれない。そう考えてしまう。
どんなに悪い言葉で書かれていても、私は自分自身を省みて、受け入れようとしてしまうところがあった。
でも、著者であるベルクハン氏は次のように言っている。
目から鱗が落ちるようだった。
正当で有益な批判なのか、慎重に見極めること。
特に、次の「よい批判者とはこんな人たち」というリストは、思わず膝を打った。
これは、受け取った言葉によって、本当に自分が傷つくべきなのかどうか冷静に判断する基準になる。
すべての批判を受け止める必要はない
批判はすべて、真正面から受け止める必要があると無意識に思っていた。
でも、すべての批判を受け止めようとすると、心が壊れてしまう。自分の心を守ることができない。
人格への敬意が払われておらず、非難やさげすみの口調になっていたら、それは悪意が込められていると判断していいのだ。
私が今回目にしたコメントは、非難の口調で、ただ単に批判をしただけだった。どのように改善すればよいか具体的な指摘まではなかった。
もしも、それが正当な批判であったとしても、一つの提案にすぎないと思えばいいのだろう。それを受け入れるかどうかは、私自身が決めること。人が言ったことをぜんぶ鵜呑みにすることはない。そういったことが明確に書かれていて、とても勇気が出た。
さらにもうひとつ。
この本の中でぐっときた言葉を紹介したい。
自分は間違いをおかす人間であること。
たとえ失敗をしたとしても、人間としての価値は傷つかないこと。
なんて力強い言葉なんだろう、と思った。
椎名林檎さんの『ありあまる富』の歌詞を思い出す。傷つくくらい悲しいことがあったら、いつも聞いている曲だ。
失敗や間違いを恐れず、自分の信じるものを大事にしたいと思う。
追伸:
批判を見て少しダメージを受けていたけれど、noteのネタにしたら元気になりました。書くことでダメージがエネルギーになった感じ。
私は私のやりたいようにやるし、私の道を進むぞ!おりゃー!
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