『21世紀の女の子』
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@テアトル新宿
他人のセクシャリティやジェンダーについての言動を見たり、或いは私自身がこういう映画を観に行くことに「自意識過剰」だと思ったりする。思ったことがある。でもこれらの単語を目にした途端に「意識高い!」と言ったりする人を見て、それはそれで不勉強だなあと思ったりもする。つまりは何事においてもニュートラルにいることって本当に難しいよね……。
まあ、だからこそ自分が何者であるのかを考え続けなければならないんだろうし、私たちは"私である"ということから逃げられないのだから、私は『21世紀の女の子』という映画を観る必要があると思ったわけなのです。
8分×15本のオムニバス形式、正直玉石混交だとは思ったんだけれど、ある視点を持つことの大切さを再認識した。女の子云々はもちろん、一個体として思考、意見できなくなることが私はめちゃめちゃに怖い。
前置きが長くなったけれど、私が好きだったのは山中瑶子監督の「回転てん子とどりーむ母ちゃん」、そして山戸結希監督の「離ればなれの花々へ」。
山中瑶子監督の「回転てん子とどりーむ母ちゃん」はシュールでエッジが効いてて、でも洒落ててクスッと笑える。シュルレアリスムって感じだ!
中華料理店の回転テーブル、年齢もキャラクターもばらばらな女性たち、子どもの眼に映る女性の過激な"性"トーク、そしてまさかのオチ。たまらなく好きだった。
山中監督のことは今回初めて知ったのだけれど、この「回転てん子〜」に一目惚れでネットに落ちてるインタビューを読んだら、最後のダンスシーンはエミール・クストリッツァ
の『UNDERGROUND』のラストシーンにも影響を受けているようで、なるほど〜!と思った。『あみこ』も観たいな〜!これから活動を追っていきたい監督が一人増えた!
山戸結希監督「離ればなれの花々へ」は正直圧倒的すぎた。この映画の、というか女の子の答えになっちゃってるじゃんと思った。そもそもこの映画を観に行こうと思ったのも山戸監督の企画・プロデュースと知ったから。『溺れるナイフ』以来、山戸監督の言葉にとても興味があって……でも私には山戸監督の言葉はいつも難解で半分も理解できないんだけれどね。笑
この「離ればなれの花々へ」も山戸監督の詩がわーっと押し寄せてきて、解釈が追いつかないながらもなんだか一瞬「ユーリカ!」って叫びたくなるような、分かった!っていう瞬間があった。私がこの「21世紀の女の子」を観に来た意味、そして私たちが女の子として産まれ生きていく意味みたいなものが全部繋がった気がした。こうやって言葉にすると仰々しく聞こえるけれど、すごくすごく大きな枠組みで丸ごと私という存在を肯定された気がしたのです。