年の暮れにかんがえた、年功序列
昨日の日曜日、合気道の稽古納めの日であった。
こんな時期でなければ近くの中華屋あたりで、皆で円卓を囲んで納会といきたいところだがここはまだ一つ我慢のしどころだろう。
ご自身の家庭を持つ皆さんとともに稽古する以上、私には責任がある。
皆さんにご挨拶申し上げてとぼとぼ帰る道すがら長く稽古を休んでいた先輩とばったり会った。
わざわざ挨拶に来てくれたのである。
ならばと、二人で久しぶりに立ち飲み屋に寄った。
大阪は酒飲みに優しい町である。
陽の高いこんな時間から飲み屋は店を開けて私たちを待っていてくれるのである。しばらくの間の近況、体調を崩されていたことなどをお聞きしながら熱燗の酒がゆるゆると身体に染み渡っていった。
そして、なんとなく『年功序列』の話となった。
昭和60年(1985年)、私が社会人になったその頃は日本の社会は年功序列、終身雇用が当たり前であった。ある程度の人事考課で差はあったものの、仕事の内容は関係なく在籍年数で給料は上がった。終身雇用も当たり前で、私も入ったゼネコンを辞めるなんて選択肢は頭の中に最初はなかった。
戦後マイナスからスタートしていった日本経済の行く先は右肩上がりしかありえなかった。その事情に一番即応したシステムだったのであろう。大変失礼なことを書くが、なんでこんな方と一緒に仕事をしているんだろうと思う先輩方がたくさんいらした。でも先輩は仕事が終わると飲み屋に誘ってくれた。昔ご苦労された経験を話してくれた。それは私が今まで生きてくる中、大変役に立った。そして、金は一切取ってくれなかった。そんな人間付き合いの中で均衡は保たれ、世の中はそれで回っていることも教えられた。
決して今を否定はしない。しかし、多くの人が生き易かったのはその頃だと思う。『何とか育ててやろう』そんな機運がどこの会社にもあったと思う。群れること、仲良しこよしは大嫌いであるが、そんな時代であったから私は一人前の社会人として育ててもらえたんだと思う。当時の先輩方には感謝ばかりなのである。
この先は残念ながらあまり明るいとは言えないだろう。これからの若者たちに望むのは、運よく『ザ・日本株式会社』みたいな組織に潜り込めないならば、とことん強くなって欲しい。とことん強くなって、優しい心を持ち合わせて欲しい。世の中は強いヤツばかりでは成り立たないことを知って欲しい。そして強いヤツばかりが仮に残ってしまえばその中にまた優劣が出来ることを知って欲しい。自分のため、家族のために戦うのではあるがその戦う舞台は世のすべての人が生きるこの世の中であることを心得て欲しい。
そんなことを話し、考え一年最後の稽古の日は終わっていった。
今日はまだ酒が残り、頭が痛い。
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