睡眠の秋
昨日はなんだか疲れていた。午後の早くない時間に家に帰り冷えた部屋でしばらく横になった。ウトウトとしていると設計事務所時代の大先輩から電話がかかり目が覚めた。西宮でマンションの計画があるから一緒に来て話を聞いてくれと言う。まだ眠かったのと、過去に西宮北口の地主にだまされたことがあり、もう二十年も西宮に足を踏み入れたことはない。そんな場所に入り込むには心身ともに調子を整えて「エイヤッ」と、飛び込まなければならない。そうでもしないと過去の負の圧力に負けてしまう。だから、丁重にお断りした。その後飲む酒にも負けてしまい悪酔いしそうな体調だった。
こんな自分が自分じゃないような時に、夕暮れの帰り道で「はて、俺はどこに向かっているんだろう」そんなことを考えるのは私だけなのだろうか。それはいつも逢魔が時、私の心にスッと入り込む得体の知れぬ奴がいるように思えたりする。ザワザワ、ソワソワ、ひどい時にはドキドキと私の心に訴えてくる。
夕方は心身ともに疲れている。拘束の時間から解き放たれて私はどこもかしこも隙だらけなのであろう。きっとそんな時に、逢魔が時に宙を舞っている奴らのいいカモなのであろう。でも昨夕は自室のベッドの上だった。とうとう俺もここまで弱ってしまったかと思った時には眠りに落ちていた。そして変な夢を見ていた。子どもの頃読んだ『地底旅行』を思い出していた。内容はうろ覚えだが、主人公たちは最後には地底から脱出したように思う。なのに私はいつまでも地底を歩いていた。そして気がつけばベトナムの、あのべトコン達が掘り抜いた狭いトンネルを腰を落として足早に移動する前の男の背中を追ってかがんで歩いていた。離れてしまえばきっと外に出ることは永遠に無いのである。
ああ、そう言えば大阪にやって来たばかりの頃に梅田の地下街から大阪駅前ビルの地下をうろついた時に、迷子になりかけたことも思い出していた。思った場所になかなか着けず、ずっとホームレス生活してる人間がいてもおかしくないんじゃないかと、真剣に思ったことも思い出していた。
そんななんでもないことをまどろみのなかで思いつつ、半覚醒状態だったのである。私はやっと涼しくなりゆく大阪で、京都大原野で聞いてきたもう最後であろうヒグラシの声を耳に残しつつ、この秋の睡眠を貪ればよいのであろう。
気がつけば9月3日は『睡眠の日』、この年は『食欲』でも『読書』でもない『睡眠の秋』と決め込もうと思ったのである。