日記のような、びぼーろくのような(2023.3.29 京都大原野のタケノコの声を聞いた日)
昨日もまた朝仕事を終えて京都西山にある放置竹林整備のNPO事務所まで行った。春はあけぼのとは言うけれどもこの春はどの部分を切り取ってもいいものである。広い青空は春の空気に満ちていた。西山に貼り付く山桜はまるでパッチワークの一部ように私の目には映る。常緑の深緑と新緑の黄緑、白っぽい山桜のパッチワークである。
事務所に着くといたのは理事長と近くの造園屋さんの80歳過ぎの会長が世間話をしていた。タケノコの出始めたこの時期、誰も事務所にはいない。鳴き方を覚えたウグイスは誰かにその声を聞かせたいのだろうか、近くでうるさいほどにその美声を聞かせてくれる。まだ少し冷たい春風は竹を揺らし笹の擦れ合う音も混ざる。のどかな山里の風景がそこにはあった。二人の話は地区の過疎化の話であった。京都市内からさほど遠くはないこの地域なのに若者が居着かない原因の一つには行政の厳しい都市計画のなかでの新築制限がある。なのに行政も過疎化を問題と口にする矛盾がある。依然本質の変わらぬ縦割りがあるということであろう。
そこへ竹を割ったような性格のお母さんがやって来て、一気に雰囲気は変わる。NPOの皆さんも顔を出し始めたタケノコを持ってあちらこちらから帰ってくる。するとそんなタイミングが分かっていたのであろうか、何台もの車が道に止まり、人が降りてやって来る。皆この時期に出始めたタケノコの美味しさを知っているリピーターたちなのである。この時期だけのタケノコのために柔らかな土を入れた竹林は竹林と言うよりタケノコ畑である。この地区のタケノコは甘く美味い。東映の映画撮影のロケ地としてもよく使われるため芸能関係者であるこの地のタケノコの愛好者も多い。お母さんは手慣れた手つきでタケノコの根付き部分を綺麗に掃除し、台に並べて商売を始める。
理事長と来週の長野行きの最終打合せを済ませて事務所を出た。お母さんにこれでもか、これでもかくらい詰め込まれ持たされたタケノコのビニール袋をぶら下げて大阪に戻った。身の詰まったタケノコは重く指がもげるかと思った。難波で設計事務所時代の先輩と飲茶屋で遅めの昼食。別れてフラフラと自宅に帰る。少し寝て、タケノコの皮をどこまでむくか迷いつつ、湯がいて味見をしたら春の甘さが口いっぱいに広がった。
料理は明日以降のお楽しみである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?