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美しき餃子

五感で楽しむ「食」。
「美」を楽しむは五感の何であろうか。
入り口はさまざまあろうが、最終的に心に訴えるのが美であろう。
この note の世界にはいろんな住人がいらっしゃる。まさにこの「食」に携わる人。それから「絵画」、「宝石」、「花」、「写真」、「書」とこれらの視覚的芸術にけた人たちの作品は一目いちもくで息を呑ませてくれる。
その一目に近いものを文章で創作出来ないものかと、私は出来そうにないことを時々模索している。

口に入れる前の餃子を見て美しい、と感じる私は変わっているだろうか。もともと変わった人間ではあるが、そういう意味じゃない。焼いても蒸しても茹でてみても、いつも餃子の透けて美しい白肌を見て思うのは「餃子は麺類だな」である。そしてその白肌から透けて見えるあんの豚ミンチやキャベツ、ニラ、ニンニクの刻まれたミジンの姿を見て美しいと思うのである。

そこから私の記憶は過去に遡っていく。
もう10年も前になる。父が肝ガンの末期で死にかけていた。母のアルツハイマーはそれとともに急に進行し、障害のある兄の健康が悪化するのも当然だった。私は介護休職制度を使って実家に帰った。父の看病をしながら母兄の「終の棲家」探しは予想以上に大変だった。一日中、役所と病院と介護施設を動き回り、昼飯も食わず、疲れ果てて夕方誰もいなくなった冷たい自宅に帰って、何を食べたかも憶えていないくらい何も食べずに、毎晩父の残したウイスキーを飲み続けた。その頃間違いなく鬱になりかけていた。

そんな時である。「親方おやかたどうだい!」と元気よくマキノさんがやって来た。マキノさんは父のもと部下、父のいた会社が海外で華々しく仕事をしていた時に海外に行きたくなく辞めたそうである。でもその前に父がマキノさん達に電験1種の資格を取らせていたそうで、そのおかげでトヨタ、スズキ、ホンダなどの協力会社の多いこの地域の工場の電気主任技術者をやって飯を食ってると聞いたことがあった。昔気質の優しい人である。マキノさんは「親方は厳しくってな、スパナでヘルメットの上から殴られたこともある。でも俺らの仕事はボッとしてたら即死だからな」と、父に感謝してくれたいた。いつまでも父を憶えてくれているのが嬉しかった。

マキノさんがその時に小脇に大きなキャベツを抱えていた。途中のキャベツ畑であまりに立派だったから一つもらってきた。と勝手に取ってきたようであった。深くは考えずにありがたく頂戴して、その晩、近所のスーパーで材料を調達して餃子を作ったのである。焼いて食い、茹でて食い久しぶりに食った餃子で我に返ったのである。その時の、熱で色の濃くなったキャベツの黄緑とニラの緑と挽き肉の薄茶色のコントラストを憶えている。寒い寒い夜に胃も心も餃子の幸せで満たし、死んだように寝た。
次の朝、寒さで庭の水撒き用の水道管が凍って破裂していた。凍った水滴が朝日に輝きキラキラして美しかったのを憶えている。

話の最後は餃子の美しさではなくて、キラキラ美しかった氷の粒なのである。私の脳か心の中であの時に食べた餃子と朝日に輝く氷滴が結びついているのである。
本当の美しきは氷滴なのかも知れない。でもいいのである。
餃子は私の心を温めて明日から生きる力をくれた。
いつでも何かあれば餃子でいい。
餃子とビールで私はこれまで艱難辛苦を乗り切ってきたのである。
いつも美しい餃子がそこにはあったのである。
「美しきは力なり」、私の座右の銘である。

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