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寒い朝におもいだす

朝起きると必ず窓を開けて部屋の空気を入れ替える。
季節は関係なく習慣となっている。
そしてその時その時の空気が私にいろんなことを思い出させてくれる。

この冷たい時期に思い出すのは十九、二十で働いた魚市場でのことである。
愛知のさして刺激の無い田舎で育ち、好まずして障害を持った兄と生活を送り自分の将来を漠然と考えた。

考えれば考えるほど深みにはまり、気がつけば高校を卒業して大学進学は放棄して知人に頼って豊橋の魚市場の仲買で働いていた。
朝4時に仕事は始まり、午後1時に市場内の食堂で皆で昼食を食べて私の仕事は終わった。

当時まだそんな言葉の無い3Kの仕事、すでに高齢化は進み、若い私は店のみならず市場の誰からも可愛がってもらった。
冬場は冷たく、何度も取り換える軍手はすぐに塩水で濡れてアカギレた手はしみてずっと痛かった。
でも活気のある市場内は働いている感じ、生きている感じが好きだった。

セリが始まる15分前に一度だけ休憩があった。
市場内の食堂に店が契約して座ると朝めしが出てくるようになっていた。
いつも炊き立てのご飯とみそ汁、たくあん二切れだけであったが、ここで食べた朝メシほど美味いのを今まで食べたことは無い。
シチュエーションがそうさせた、のは間違いないことではあるが実際美味しい白飯に地元味噌の赤だし、これも地元の渥美半島のたくあんだったに違いない。
これだけで身体も心も温まり、5分でかき込み、すぐにセリの会場に向かった。

これまで生きてきた中で一番美味いものを聞かれれば、私は間違いなくこの朝メシをあげるだろう。
今、私がその頃と同じように働き朝メシをご馳走になっても同じような美味さは感じないことであろう。
十代で初めて他人に世話になり、メシを食わせてもらったからである。
あの年代でなければ感じることの出来なかった美味さなのである。

もう二度と出会うことのない美味さ、これもその年齢でなければ経験できぬものの一つであろう。

この先にそんな美味さや、経験ってあるのだろうか、、
あるならば生きてきてよかったと思うし、これから生きて行く希望にもなる。

たぶん、それは待っていると私は思っている。

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