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冬に鳴くコオロギ
晩秋と初冬の境をなんというのであろう。
今がなんだか秋と冬が入り混じった、そんな時期のような気がする。
樹々の色づきがやっとそろい始めたかと思いきや、冬を思わせる冷たい朝もやって来る。気を付けなければ風邪をひいてしまいそうな、そんな最近である。
私の居住地はJR沿いにある。
やや八尾駅に近いのであるが、最近家に帰る時には離れた久宝寺駅から歩いている。整備されたJR沿いの街路の色づいた樹々の下をボンヤリ歩いて帰るのである。こんな日が来ることを想像できない時期が過去にあった。誰もがそんな思いをして生きるのであろうが、通り過ぎてしまえばそういう時期があったからこんな日をありがたく思えるのであろうと思ったりもする。
なんでもない日常である。働き、食い、飲み、風呂に入って寝る。こんな当たり前の日常を送れることに感謝する今があることに感謝する。そんな当たり前を当たり前に出来ない家族を見て、看取り、多くの子たち人たちを見てきた。そこには不公平や不運を感じ時には腹も立てたがそれが当り前であり、なんでもない日常であると今は思えるようになった。
嘆き悲しむ時間は必要ではあろうが、長くは必要としないと私は思う。経験で強くなった人間は次の嘆き悲しむステージに登らなければならない。それは必要ではない経験、必要ではない時間のようにも思えるが、人間が成長する過程において必要なことなのである。人間が長く生きるのはそんなことを経験するためなのではないのかと思うのである。
夜風が冷たく衿を立てて帰る途中、秋を惜しんでいるのかコロコロ鳴くコオロギの声を今年初めて聞いた。
この季節の移ろいを知るか知らぬかわからぬコオロギよ、可哀そうだが最後まで付き合いお前の声を聞いてやるわけにはいかない。
私は街灯の明かりのもとに歩みを早めた。
晩秋と初冬その似て非なる言葉のどちらも私は嫌いではない。
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