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LL(ロングロング)長屋の日常、悩みの無い悩み

LL長屋はループ線上を24時間止まることなく走り続ける回るアパートである。
AIの進化は私たち人間を働く苦悩から解放し、自由の世界を提供してくれた。
と、言うのは世の中が変わってしばらくの間だけのことだった。

生きることは保障され、どのような算定基準があるのか分からないが、各人の銀行口座には二月毎にライフマネーと称される最低限にプラスアルファを加えた生きるために必要な金が振り込まれる。国の機関であるJUR²(ジュール)※1(※は下記参照)が経営のこのLL長屋での私の家賃など、最初から差っ引かれて振り込みされても良さそうなものの、人間らしい生活を忘れさせないためにわざわざ各人に振り込みをさせているのである。そこには滞納もあれば他で金を使ってしまって支払い不能と、今と変わらぬトラブルが生ずる。でも、そんなことは織り込み済みの敵の作戦だったのである。トラブルが生むストレスが正常な精神を保つためと高齢者の認知症予防には必要であるとの判断で断行された方法だったのである。

そんな現在を生きる私たちには普通に生きていくことに不自由は無い。それを国は望み、不要な悩みや国に対する不満を持たれたくなかった。そのためにすべては作り上げられたある意味虚構の世界だったのである。

人間として人間らしく生きるって何なのであろうか。病気や貧困の無い世界で老いを自覚しながらただ死んでいくその日を待つことを誰かは期待しているようだけど、たぶんそれは間違っているのではないだろうか。少しはカラダに悪いこともやりつつ、たまには家族に心配をかけて生きることがあってもいいんじゃないかと思う。

すでに『時代おくれ』のレッテルを貼られた私には、こんな生活は退屈でたまらなかった。でも、こんな時代になっても飲み屋は存在する。ループ線の数駅に、飲み屋街区が設定されていた。焼鳥屋、串カツ屋、立ち飲み屋、普通の居酒屋、スナック、クラブまでもが軒を並べていた。そしてどこへ入ろうと接客のアンドロイドの姿形こそ違えども同じシステムの飲み屋群だった。客を所望する席に座らせ、立たせて聞くのであった。「ワンループ  オア  ツーループ?」と。そして、ワンループと言えば1錠、ツーループと答えれば2錠のカラフルな薬剤がチェイサーとともに出てくるのであった。アンドロイドの店員に勧められるまま飲み込めば、すぐにそこにはバーチャルの飲み屋の世界が広がっていた。そして好きな酒を頼み、好きな料理を注文することができた。
ループ線1周ないしは2周の、ただこの世を生かされている男や女達の儚い楽しみなのである。
可哀想なことになかにはこれが本物の飲み屋と信じて疑わない若者達もいた。

自分の住む車両が一巡するまでの1ループセット、二巡する2ループセット最大は3ループセットまでが合法の範囲だった。

私はアングラ※2 で非合法で昭和の立ち飲み屋を開いている。ループ線新古宮駅前の古い古い鉄筋コンクリート造の地下に看板を出さずに店を開いている。
私の連れは皆あの昭和の世に憧れや生きる希望を持った連中だ。
スマホに入り込んだ国会図書館はその気になれば読むことのできない本などない。開高健の宿酔い(二日酔い)が真の男の証であるエッセイに心を寄せ、椎名誠の『さらば国分寺書店のオババ』を読み昭和の男の憤りや嘆きに共感し、中場利一の『岸和田愚連隊』を読み血湧き肉踊らせて愚連隊に志願する方法を真剣にネットで検索する連中だった。
そいつらが皆、独自のアングラルートで酒やネタを探してくる。
私はそれを仕入れて仕込み店を開く。何かあれば私が首謀者であり、私が塀の向こうへ行けばよい。この世でも刑務所はあるよ。規則正しい生活を強いられ、なんでも麦飯が食えるという。そんな人間らしい生活ってないよ。だから、どっちに転んでも私には幸せしかないんだ。
普通に酒を飲んでスルメを食い、丸干しをかじり、飲んだくれて女は笑い、男は嘆きを酒場の隅に置いていくのであった。

しかし、しかしまだ、ここに来る連中を塀の向こうに送り込むことはしたくない。外を見回る公安アンドロイドに捕まらぬよう、『一発酔い覚め貴方のケスヨイ』※3 を必ず会計で服薬させた。実は取締りの責任者の警官もここの客でいる。そんな奴らはチョー口が堅く、当局のガサ入れが予定されると事前に教えてくれる。だから、当分はこの商売は安泰だろう。人間らしく生きたい人間たちにこの店は支えられているのである。

これが私の日常、LL長屋での私の日常の一部なのである。


◎前回のLL長屋の日常


言葉の補足
※1 JUR²(ジュール)はJRとURがやけくそで合体して作られた国土交通省が直轄する団体
※2 アンダーグランドの略、まだ人が人らしく生きていた1960年代反権威主義などを通じて波及し商業性を否定した昭和の文化・芸術運動のことを指す。広義には単に非合法のこともいう。
※3 もうずいぶん昔のこと、キノコの発酵食品で大儲けを企みこの世から消滅した某大林製薬の主席研究員が後年、メシを喰っていくために発明した一発酔い覚め薬


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