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日記のような、びぼーろくのような 『2024.12.23 さて、年末最後の』

いつも思う。「ここも京都市内なんだな」って。
1956年(昭和31年)、地方自治法の一部改正によって政令指定都市が創設された。そして、その最初の5市(横浜市、名古屋市、京都市、大阪市、神戸市)の一つに指定された人口146万人という大京都市の行政区内に私たちの活動するNPO事務所はある。

私はいつも阪急京都線の洛西口駅から、阪急電鉄の子会社である「西山ドライブウェイ」が運営しているレンタサイクル屋で電動アシスト付き自転車を借りて片道約10㎞を往復している。車で走れば見落としてしまう街の顔をいつもジロジロ見ながら走っている。国道9号線を走り、坂を上り切った辺りに新しい住宅地がある。京都にある某国立大学の一部が移転してきたが、公共交通機関はバスしかない。その奥に隣接するオールドタウン(一応ニュータウンの名称は残っています)にももちろんバスしかないのである。

私が社会人になった1985年(昭和60年)には、このニュータウンはまだそこそこニュータウンであった。地下鉄延伸という甘美な言葉にそそのかされて、不便ではあるがこの緑豊かな地に多くの若い家族たちは移り住んできた。でもそれから40年、財政難を理由に地下鉄は実現する気配すらない。私はこの地の人間でも、京都人でもないからよく分からないが、日々の移動は大変であり、通学、通勤、通院やスーパーへの買い物、何を行うにも時間と労力が必要である。それらはすべて金に換算できることでもある。そして、高齢化は進みバス停に立つ高齢者を目にしないことは無い。子ども等の数も当然少なく1クラスの人数も少なければクラス数も少ない。5年生に竹の授業を行うのだが、私が生きた小学時代の1クラスより人数が少ないと思っていたら、2クラスあわせた人数だという。しかも、学年に2クラスしか無いと言うので驚いた。多くの優良企業が在し、観光客の途切れることのないこの京都市が財政難てのは不思議な気がする。でも今が現実なのである。

京都も寒い朝を迎えていた。西山は白く薄化粧し、離れて見える北山は白く染まっていた。NHKの取材があった。新年の「ぐるっと関西おひるまえ」での放映が予定されている。門松づくりと放置竹林のことを取り上げてくれるようであるが、どこまで深く読み込むのか分からない。理事長はどうもインフルエンザに罹患したようで、車の中に自主隔離し「何かあれば言ってくれ」と死人のような顔をして寝ていた。私は撮影陣と、対応するNPOメンバーのための昼飯のかやくご飯と豚汁を地元のお母さんたちと作っていたのである。

新年早々の昼時の番組である。軽く明るい内容となるようであるが現実は重たいものである。平安の世には天子も住んだ長岡京のあるこの西山地区、紫式部がこよなく愛した地、西行法師はこの西山で出家したから西行と名乗り、六歌仙の一人である在原業平は晩年この地をこよなく愛しこのNPO事務所の目と鼻の先で眠っている。気がつけばそんな大衆受けする話題の転がっている地域なのである。
そんなこの西山エリアは京の都の里山として栄え、大京都市内の限界集落に近づきながらも今まで残ってきた。今のこの地区の大きな苦境はいずれ「失った遺産」として惜しまれ、子ども達の教科書に残ってしまうのか。
以前、理事長の吉田は日経新聞の取材で「放置竹林は宝の山」と言った。今を生きる現代人たちにとって厄介者になってしまった放置竹林は、活用の仕方でいくらでも私たちの生活の中で活かされる。「安けりゃいい」そんな風潮を生ませた今のこの日本で生き残ることが出来なくなってしまった地域なのである。

その昔、里山であるこの地域は御所を中心とする市街地と密接につながっていた。当時、この地域の美味い米と京野菜は市街地に住む人々の糞尿で作り上げられていたのである。天子様、貴族たちの糞尿も肥料となっていたのである。長屋を経営する大家から店子たちの糞尿を金で買い、多くの京の住人たちから買い取った肥料で西山大原野の百姓たちは米や野菜を育てたのである。
そして、京の住人たちはそれを食って、また肥料を生産するという循環を延々とつなげてきたのである。この好循環が無ければ美しい京の都などあり得なかったのである。

しかし、戦後大きく世は変わりこの西山地区にも下水道は普及し、市街地との循環は途絶えてしまった。物流網の発達でこの西山の米、野菜に頼らずとも生活に支障は無くなり、産業の発展という名の変化でこの地の人間も多くは働きに出るようになっていった。
自然と、人口流失も始まり、少子高齢化への峠を登り始めた。

京都市西京区と名ばかりの大京都市内であるこの地には少子高齢化で自前の竹林の整備をする人間がおらず、仕方なく荒廃放置竹林としてしまい多くの社会問題を生んでいるのである。

人は皆、求めるものが違う。だから皆がいいな、と思う姿を作るのは難しい。だから先導役の行政の力が必要なのである。縦割りの考えではなく横断した考えと力を持った人間が必要なのである。
元役人の理事長だからここまで引っ張って来れたと思う。この先に難しい世代交代の問題が控えている。しかし、これは必ず乗り越えなければならない峠なのである。

そんなこんなを考えながら、今年は終わり行く。
整備された竹の生む空気は美味く、竹林のなかはいつも清々しい。個人的にはこれだけで私は十分である。人のいないこの地で古(いにしえ)の文化人たちの目にした自然の中で役に立たないよしなし事を考えているのが好きである。

裏方の野外特設炊事場です。大量に作った豚汁はしばらく西山の冷たさを忘れさせてくれました。
お手伝いの近所のお母さんの白菜漬けはとても美味しかったですよ。冷酒が進む塩加減でした。

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