『サイボーグになりたい』
それはそれは切ない話です。
時は21XX年、地球上の環境問題は解決され、地球上の貧困は無くなり、地球上の争いは無くなり、地球上から『不幸』などという概念が消えかけていました。
私たちは人間という枠を超えて地球上に生存していたのです。
人類の病との戦いはサイボーグ化という病んだ部位を精巧な機械に取り替えることで解決したのです。
そして、人類が過去に営んできた様々な仕事の大部分はAI搭載のアンドロイドが代行するようになっていたのです。
その頃のAIは長い時間かけて重ねて来た学習で人間の心と変わらぬ感情を持ち始めていたのです。
サイボーグ化された人間と人間化したアンドロイドにほぼ差異はありません。
同じ生活を送りました。
しかし、両者の間には婚姻にのみ『不可』という差別が残っていました。
その差別は『inshuu』と呼ばれていました。
子孫を残すのは人口受精が当たり前、各国の計画通り家族計画は進められ、余命も当局との相談のもとに決められていく世界だったのです。
『愛』という感情も既に持ち始めていたアンドロイドたちには、そして本当の心を残していたサイボーグたちには、辛く切ない未来であったのです。
ーーーーーーーーーーーーーーー The End ーーーーーーーーーーーーーーー
実はこの文章を考えたのは、小学生の兄が自身のカラダを嘆き『サイボーグになりたい』という作文を提出したことを忘れてしまうことが出来なかったからです。
兄は小学時代の成績は私よりずっと良く、今ほどの重い障害は無く、発作のため思うように外に出れないなか、母が用意していた文学全集を部屋で読み耽るような子どもでした。
そして、学校長に「発作で事故を起こされたら責任を取れない」と、まだ支援学校の整備の無いなか、特殊学級という当時の公立中学にあった不思議な名称のクラスに入れられました。
母ハルヱは執拗に食い下がり「死んでも迷惑をかけない」と、嘆願書まで持ってかけあっても定年退職直前の校長には聞き入れてはもらえなかったそうです。
そんな時代だったと言われればそれまでですが、翌年赴任した校長は理解があり、「僕が一年早く来てたら」と言ってくれたそうです。
でも、一度入ったらどうにもならないシステムだったようです。
たまたま、マジョリティとマイノリティに分かれる世界、でも、その逆転だってあるかも知れません。
世の中にはさまざまな生があり、さまざまな性もあれば、さまざまな人種もハンディもあります。
そのうち認知症もハンディの括りに入っていくかも知れません。
そのすべての人たちが私たちと共に毎日を生き甲斐を感じて普通に生きていけるような世の中が来てくれたらいいな、と願ってやみません。