猫を見ていておもうこと
私の猫のすきなところ。
猫には必ずこの時間にこれをするというルーチンは無い。
腹が減れば飯を食い、眠くなれば眠りにつく。
寝る場所やお気に入りの定位置にも必ずの決まりは無く時々変わる。
気候、大きくは気温が関係したり、その時のブームがあるようだ。
集団で生きない猫であるから可能なのでもあろうが、ある意味非常に合理的な気ままさである。
生態を観察したわけではなく、想像の上でのことだが野良猫はもっと合理的に生きているのだと思う。
敵は同じ野良猫や動物ばかりでなく、人間にも敵はいる、安堵の無い中で生きているにも関わらずにだ。
たまたまこの世に置かれた環境で猫たちはスイッチを切り替えることが可能なのだろうか。
野性の血が多く残っているだけなのかも知れない。
人間にもこんな血が少しは残っているのではないかと思うのだが、そんなスイッチの切り替え、環境変化への対応を簡単に出来る人間は少ないように思う。
マニュアルが無ければ動けない同世代や若者が目に付く。
ルールがあって当たり前の中に育ってしまって自分での判断が出来ない脳になってしまっているのだろうか。
それを理由にして動かないのならば、組織は非常に細かな事までルールを定めておかなければならない。
やり出したら際限はないだろう。
だから適当なところで、一文『ここに無い事はあなたの道義心と良心を持って判断しなさい。』と記したらよいと思う。
生まれついての野良猫はその本能に従って生き抜く。
他の動物とは違い理性を持つ人間は、ほんの少しの優しさを加えて、野性を思い出し本能に従って生きてもいいように思うのだが。
他界したトラは雨の日、外の見えるチェストの上が好きだった。
ロマンチストの猫だった。