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この一か月、若きも老いも夢を持ち

日曜日、合気道の所属会派の高段位昇段者(五、六、七段)の年に一度の免状授与式と披露演武、そのあと場所を変えて難波のホテルで総会と新年会があった。
毎年お決まりの出来るものなら出たくない面倒くさい集まりである。
しかしながら、この小さな合気道の世界の中でも社会で生きる私たちの義務と義理と同様でそんな気持ちはおくびにも出さないで普段の私を演じなければならないのである。
総会・新年会の会場に移動する途中、大学を卒業してまだ間もない若い社会人と話しをした。彼の合気道にかける夢とまだ汗の乾かぬ湿った肌や張りのある声に自分がとうに失ってしまった新鮮さを感じた。

そして今日、昨年末に中学受験を控え道場を去っていった小学生の母親から連絡があった。早い桜の花が彼の家に咲いたという連絡だった。「よく頑張ったなぁ、お疲れさん」と言ってやりたい。
息子より先を考えてしまうお母さんは「また時期をみて稽古に来たいと言っている」と言ってくれるが、まずはのんびりすること、残り少ない小学校生活を楽しむこと、4月になったら新しい環境に慣れること、そして、多くの人と事に出会って新たな楽しみを見つけたらいいと思う。合気道はその次でいいと思う。決して合気道は逃げだすことは無いのだから。

この彼の夢は聞いたことがなかったが、先の彼と同様に無限大の可能性を感じる。

人生を重ねるごとにしがらみは増え、背負う荷は重くなり、忘れたふりをして過ぎ去ろうとしていた責任は決して私を見逃してはくれなかった。
そのたびに一つ夢を置いて行き、でもまた一つ小さな夢を自らに科すのであった。

夢を忘れちゃいけない。
夢を捨てちゃいけない。

気が付けば歳を重ね、もう大きな野望は持てぬかも知れないけれど、小さな野望であってもいつまでも持ちたいじゃないか。
今をどのように生きようと夢は捨てずに忘れずに生きていきたいじゃないか。
波風やうねりの絶えぬ海原を、進むと同じが人生と、考えればなんてことはないじゃないか。

そしてまた今日の午前中、いつまでも夢を忘れない放置竹林整備のNPO理事長と打ち合わせ。月末の理事長はいつも竹林伐採・整備料の入金とあちらこちらへの支払いでてんてこまいである。法人の通帳の入金欄に並ぶ嵯峨野の誰もが知る寺の名前を見るのはなんとも不思議な気がした。寺も私たちの法人のように普通に活動しているのだ。
理事長は古いトラックの修理代金の支払いを失念しており、毎月が自転車操業の中どう工面するか苦慮していた。

そんな理事長だが私に竹の器に入れた灯明を見せる時は少年のような顔をしていた。
近くにある大歳神社の石灯籠の灯明として使ってもらうと言う。
かつてカヤは建築材や高級碁盤・将棋盤として使われた。葉は蚊よけに使われ、このカヤ(=蚊遣り)の名称のもとにもなっている。見た目はアーモンドに似た実は食用・食用油、灯明用油としていたそうである。そんな便利なカヤであるが、今はほとんど使われることのないカヤ。「もったいない」ではないが、あるものを無駄にせず有用に使うことは理事長にとっての当たり前のSDGsかも知れない。
でも、こんなことを考えたり、実際に行動に移している時のこの理事長が好きなのである。

年が変わり、また合気道の稽古をする若者たちの生き方に触れ、NPOの先の打ち合わせをしながら、理事長への恩返しがまた始まったなぁ、となんだか忙しかった一か月を振り返った。


カヤの実の油の灯明は希望の光です。そして、この竹の器の直径は20センチあります。1.5センチほどの肉厚の竹から竹の数珠を作るそうです。京都のお寺からの依頼です。
カヤの実の油は古来、食用・灯用に使われていたそうです。カヤの実は戦場のけがれを清浄するそうで相撲の土俵の鎮め物としても使われているそうです。




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